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黒いマントの奥の不機嫌

そばにいる人の「不機嫌」が何より苦手。
子どもの頃からそう。根っからのビビリ。
人の顔色ばかりを窺って窒息しそうに生きてきた。

とくに、母の不機嫌が苦手。
ずいぶんと母の機嫌に呑み込まれずにいられるようになったけど、
顔を突き合わせていたら、全く気にならなくはならない。

台所にいる母の機嫌が悪いと、2階にいてもだいたいわかる。
昨日もなんだか妙にざわざわする空気が伝わってきたので、
「あ、また父が母のことをほったらかして遊びに行ったな」と感じた。
(やはりそうだった)

一人ポツンとほったらかされている母をついつい「かわいそう」だと感じてしまう。
ついつい私がなんとかしてあげなくちゃと思ってしまう。
長年のクセ。なかなか抜けない。

「私は不幸な人だ、かわいそうな人だ」と
子どもの頃から母には繰り返し聞かされた。

私は母のご機嫌を取ることをやめることにした。
私は「自分」を優先させないと、自分が壊れてしまう。

でも母からの離脱はラクではない。
ついついいつものクセが出る。
そのたびに自分に「またいつものクセだよ」と教えなくちゃならない。

私が強い人間で、どうにか母の不機嫌に耐えられる人だったら、
ずっと呑み込まれたまま我慢してしまえたのかもしれない。

壊れやすいからこそ、私は自分で自分を守らなくちゃいけない。

たしかにかわいそう。私の母。
一人で不幸を背負ってるような人。

でも「母がかわいそうだから」と、そばにいて、
ご機嫌を取って、面倒を見て、甘やかしていたら、
私はたぶん同じことを無意識に息子に望む。

私はずるい人間だから、同じことを息子に押し付ける。
(意識的にか無意識にかはわからないけど)

それじゃなくても、病気を抱えていることで私はこれから先
たくさん息子に迷惑をかけるのは目に見えてる。

だから、なるべく自分で解決できる部分は自分で解決しなくちゃいけないし、
どうしても無理な部分は息子に助けてもらわなくちゃならない。

いろいろ助けてもらわなくちゃならないとわかっているからこそ、
なるべく「不機嫌ではない私」でいたいと思う。

心身が重くてご機嫌よくいられないことも多い。
だから、そこはよけいに自分で努力しなくちゃね、と思う。

「不機嫌」はやっぱり嫌い。好きにはなれない。

「不機嫌」の奥は得体が知れない。ただただ無気味。

もしかして私への不機嫌なのか…、いろいろ詮索してしまう。
不機嫌がキライだから、詮索してしまう。
そうしてヘトヘトに疲れ切ってしまう。

平気な人もいるのかもしれない。そばに不機嫌な人がいても。
そんな人もいるのかもしれない。
でも「好きじゃないなぁ」と思う人がほとんどだと思う。


近くにいる人の「不機嫌」で私はとても疲れる。

その誰かの不機嫌を解決することはできない。私には。
厳しいけど、それはまずその人が自分で向き合わなくちゃならないこと。

私にできることは、なるべく自分が機嫌よく過ごすことかな。

何かで機嫌を損ねたときには、その理由を相手にキチンと伝えたい。
相手に変な詮索をさせたり、疲れさせてしまうのは避けたい。

もちろん無理に機嫌よくはいられないこともあるけど、
知らず知らずに「不機嫌」をばら撒いて
辺りの空気を大きな黒いマントで覆ってしまうのは避けたいなぁと思う。

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