今週の出来事(8/24~8/30)
Thought and Trip [Week 26.]
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今週の出来事を書いていきます。
8月24日(月曜)
人は相互に影響を与えて生きている。
それぞれの文脈は違えど、相互に特別な時間を過ごせれば新しい物語が生まれる。
統制されたプラットフォームが出せる特別性は便利さしかない。
結果、ひとつに集約される。
いびつさを保ちながら特別性を出すには、透明性と謎の両方が必要。
8月25日(火曜)
まあ、何というか一周回った気がする。
一周回って今日は何も考えてない。
別に考えなくてもいいのかな。
いや、どうなのかな。
8月26日(水曜)
結局、金持ちになりたい、有名になりたい、優位な立場になりたい、みたいな価値観は、この社会を統制するために便利なので、小さい頃から刷り込まれていったもののような気がする。
なので、際限がないし、規模を求めるので同質性を高める結果となる。
自分自身の存在の証明方法が皆同じになるという矛盾。
僕は様々な世界の匂いを感じて、思考を深め続けたい。
そのために、少数多面的に生きて特別性を発揮していく。
目標を持つとしたら、今の自分では感じ取りにくい世界を感じ取れるようになる事と、より自由度を高める事かな。
8月27日(木曜)
世界はひとつだけではないし、
自分はひとつだけではない。
全く同じ人は存在しない。
不安で不安定な状況が基本。
その前提の元、少数多面的に生きる。
規模を追うステレオタイプな価値観を取り払っていく。
8月28日(金曜)
不安をなくせば幸せになれるのか?
不安をなくして楽になるのはわかる。
しかし楽になったからといって幸せになるというわけでもない。
そもそも不安をなくそうとした結果、都合の良い線を引き“我々と彼ら“を生み出して永遠に終わらない争いを生んでいる歴史がある。
同じ文脈の中生きることはあっても、全く同じ人間は存在しない。
人によって幸せも違う。
そのいびつさに不安を覚え葛藤しながらも、自分自身と共生する。
そういうことなのではないのか。
8月29日(土曜)
不安がない状態とはどういう状態か?
不安から逃れられること、不安を生む要素がなくなること、不安を感じなくなること、不安であることが当然であると解釈すること…
昨日、今月2回目の車の修理をした。
お金が無くなっていくのは不安なはずだが、なぜかテンション上がってる。
8月30日(日曜)
近代的文化とは、自ら棺桶を建てて、過去の思い出と共に孤独死する文化なのかもしれない。
近代化と共に失われていった営み。
僕がイケてると感じる文脈。
融合した時、心地の良いつながりを得られる気がする。
近代化が悪いわけでも、過去の文化が良いというわけではない。
強いていうなら、良いか悪いかと単純化していった結果、人は棺桶を建てていた。ということ。
振り返り
まあいろいろあるけど、喫煙所はあんな囲われた形に作るのではなく、誰も通らないような路地裏に灰皿置いとく方が面白いと思う。
隠れてタバコを吸っていた学生時代のように。
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