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クリープハイプが聞こえない Vol.4『左耳』

 ゆーゆは、一度寝たら絶対に朝まで起きない。彼の家に泊まる時は必ず借りるライブTシャツは、ずっごくダサくて嫌いだけどダボダボ具合が丁度いい。今回は、そのダボダボにミッションを阻まれたりした。小さく寝息をたてるゆーゆの腕の中からそっと抜け出して、下敷きにされたダボダボ部分を引っ張り出すと、なんと、彼が「ん、」と身じろぎしたのだ!
 これは私が悪いんじゃない。これは必要悪である。というか、歯切れの悪いゆーゆのせいである。そう自分に言い聞かせながら彼のスマホを手に取った。暗証番号はばっちり覚えた。いつも私の隣でなんの警戒もなく番号を打ち込むものだから、必然的に覚えてしまった。
 彼の、スマホを開くための6桁の数字。誰かの生年月日みたい。平成5年の、11月20日生まれ。ロックを外して、スマホの中をくまなく覗く。写真フォルダも、LINEも、インスタもTwitterも着信履歴も。
 結果としては何もなかった。何もなかったから、だから私はますます混乱した。じゃあどうして、なんでゆーゆは質問に答えてくれないの?「ピアスの穴、あいてるのにどうしてピアスつけないの?」って。

「それで、彼氏のどこに疑う要素があったの」
 LINEだったら末尾に『www』とついていそうなトーンで、佐野がそう言う。オンラインゲームが趣味で、リアルよりもオンラインのほうに友達が多い佐野には絶対にわかんないんだろうなぁと思いながら、私は告げた。
「女の勘」
「何それ」
 画面の中で、私の使っていたキャラクターが斬られて死ぬ。ムカついて、課金アイテムを消費してコンティニューした。私は佐野が、一度だってコンティニューしているところを見たことがない。どうして佐野にはコンティニューが必要ないのか、私には、必要なのか。
「女の勘が、あれは昔の女だって告げてるの。絶対に大事にしてた人だよ。だってあのゆーゆがだよ?注射ですら嫌だって、健康診断の前に憂鬱になるような、痛みに弱ぁいゆーゆが耳に穴あける?」
「うんまぁよくわかんないけど、あけれたんだろうねぇ、その昔の女ってやつには」
 本当に、佐野には配慮ってものが足りない。なんでそんなに簡単に言うんだろう。私の好きな男の体に穴をあけた女がいるというのに。その女が、まだこの世のどこかで息をして、食って寝てセックスして生きているというのに。
「真衣ってさぁ、本当に不幸体質というかなんというか……幸せになれないよね」
 ピコン、と音がして、また私の画面がゲームオーバーになった。いつ斬られたのかさえわからなかった。コンティニューする気にはなれなかった。
 まだまだ話し足りなくて、ボイチャの向こうの佐野にひたすら愚痴を重ねる。佐野はただ、笑いながらドードードーと繰り返した。そして「ピアスの穴に昔の女を感じるっていうなら、逆にピアスプレゼントするとかね?新しい女で塞いじゃえ作戦」と言いながらゲームに勝った。圧勝だった。

 安全ピンがぶちぶちと皮や肉を裂いていく音が間近でして、痛みよりもその音の方が堪えて気を失いそうだった。まだゾワゾワと鳥肌の立つ腕をさすると、彼女は歯を出して飾り気なく笑う。
「優太郎、案外痛みに強いじゃん」
 彼女は、黒の色素を全部抜いた髪を耳にかけ、ゴテゴテしたシールが貼られた手鏡をかざす。肩が触れ合う距離で映る男女の耳には、お揃いのピアスが光っていた。
「いいじゃん、似合う。優等生のピアスってちょっと興奮するよね」
「何それ。ねぇ、右は?」
「男は左だけでいいんだよ。なんかホモって意味になっちゃうんでしょ?よく知らないけど。あれ?左でいいんだっけ?右だっけ?」
 彼女のその適当な言い草に、「勘弁してよ」と笑う。彼女の手で開けられた穴はまだジンジン痛んでいたけれど、うーん、なんて言うんだろう。彼女風に言えば、それが『ちょっと興奮する』。
 滅多に学校に来ない彼女に、押し付け合いで学級委員に任命された俺が声をかけた。それが始まりだった。彼女と見る景色は、新鮮で、色が違って見えて、それは、会うたびに変わる彼女の髪の色のせいだったかもしれない。
「じゃ、そろそろ彼氏が迎えに来るので、まったねー」
 そろそろも何も、これから午後の授業だというのに彼女はそんなことを言う。ぴょんと立ち上がった瞬間にスカートの裾が揺れた。白く長い脚を見せびらかすように、彼女はいつでも丈の短すぎるスカートを履いていた。
 彼女の彼氏は、他校の、学年で言えば三年生だ。高校は退学になったのか停学中なのかわからないけど、彼女を後ろに乗せて改造バイクを乗り回すせいで、この辺りでは有名人だ。
 優等生、と言われる自分がピアスをあけたことを知ったら、クラスメイトはなんて言うだろう。例えばピアスがあいていれば、アイツみたいに喧嘩が強くなくても、彼女の隣に立てるだろうか。

 高校時代からの腐れ縁が「女と別れて傷心中」と言うので駆けつけてみれば、それはただの飲み会だった。男4人で飲んで何が楽しいんだよと小突き合いつつも、みんな結構楽しそうだ。いやわかってる。男だけの飲み会なんて、楽しいに決まっている。
「いやマジちょっと彼女がメンヘラだったのよ」
 別れた女の話題に触れたのは最初の数分程度で、あとは昔話や、くだらないジョークに花が咲く。「優太郎、ピアスまだつけてんの?」と誰かが言ったのは、会も終盤に差し掛かり、大体の話題を一通り擦った後だった。
「ああこれ、なんか彼女にもらって」
 言いながら、左耳のピアスに触れる。久々に穴を通したせいか、違和感と軽い痛みがあるが、真衣がなんだか神妙な面持ちでプレゼントしてきたものだから、つけないわけにはいかなかった。
「ふぅん?お前誕生日だったっけ?おめでと」
「いやいや、違うよ。別になんでもない日よ」
「……なんでもない日にプレゼント?」
「え?うん」
「死ね!!!」
 なぜかおしぼりを投げつけられて、他の2人もドッと沸く。こんなところで死んでたまるかとやり返すけれど、やっぱりそうか。これは、惚気に聞こえるんだなぁ。
「まぁとにかく!メンヘラには気をつけろってこった!」
 締めにそう叫んだ友人には、到底言えそうになかった。自分の彼女が夜中、恐らく自分のスマホを覗いている……なんてこと。
 左耳のピアスに触れると、カチカチと安い金属の音がした。真衣に聞かれるまで、ピアスのことなんてすっかり忘れていた。もう全く昔の、関係がない話だからこそ、白々しい答えを用意するのも億劫で適当に流してしまうのだが、それが彼女を不安にするのだろうか。そういうので不安になるほど、自分は信頼されていないのだろうか。
 スマホのことは一度見なかった振りをして、真衣の着ていたTシャツを洗濯した。今週末、また彼女はやって来る。なぜだかあまり、気が進まなかった。




覗いたら昔の女がいた

クリープハイプが聞こえない Vol.04 左耳


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