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クリープハイプが聞こえない Vol.3『イノチミジカシコイセヨオトメ』

 久しぶりに返ってきた地元は、田舎過ぎて何も変わっていなくて、ただ実家の塗装は少し剥がれていて、壁も汚れていた。「昔は新築だったのにね」と母に言うと「20年も経てばそりゃ汚れるよ」と興味なさげに返され、話題はすぐに今夜何食べたい?という内容に移り変わった。私は今年で20歳になる。人間も、20年も経てば汚れるものなのかなぁ、お母さん。

「突然帰ってくるから驚いたわ」
 大して驚いた様子もなかったくせに、母は何度もそんなことを言う。相変わらずの散らかったリビングで適当にテレビをザッピングしていると、「やることないなら手伝いな」と厳しい声が飛んでくる。
「ねぇ知ってるでしょ?私、料理とかできないし」
「いつまでそんなこと言ってるつもりよ。アンタの将来の夢はお嫁さんだったろ」
 何歳の時の話をしてるんだか。苦笑いするも、それを言葉に出すのははばかられる。15で家を出てから今まで、一度も帰らないどころか、連絡さえまともにしなかった。水商売をしながら女手一つで育ててくれた母のことを考えれば、私は立派な親不孝ものだ。
「ねぇ、にんじんってどうやって切ればいいの」
 手際よく、炒め物をする母に問いかける。どうやら聞こえていないらしく、返事がない。ジュー、ジュー、と肉が焼かれることを拒むような音の中で、母の背中はあまりに小さかった。いつの間にこんなに縮んだんだろう。昔はもっと、こう、世界の全てを支配しているような背中をしていた。
 一年中出しっぱなしのこたつに入り、出来立ての夕食に口をつけた。母の焼いた肉は味が濃いし、私の切った野菜はどれもサイズがバラバラで、芯が残っていたりもしたけれど、それでも私には、なつかしい味だった。
「で?なんで帰ってきたの」
 味付けの濃い肉にかぶりつきながら、母が問う。
「理由がなかったら帰っちゃいけない?」
「理由がなくて帰ってくるような奴じゃないだろ、アンタは」
 しばらく黙って、生焼けのにんじんを噛む。
「……お母さんってさ、私のこと生んでよかったと思う?」
 途端に、母は眉をしかめた。
「は?何いきなり。気持ち悪い」
 母のこういう、大人げがないところが大嫌いだ。この家に二度と帰らないと誓った日のことを思い出しうへぇと舌を出しそうになるも、「いいじゃん、答えてよ」と先を促す。私は、もう立派な大人だ。
「答えてって言われても……そんなの考えたこともないよ。アンタがいるのが当然だった」
「じゃあ、生まなきゃよかったって思ったことは?」
「だから、アンタがいるのが当然なんだって。そんな意味のないこと考えてる暇なかったよ、私は」
 どうも期待していた答えと違って、私は反応に困ってまた生焼けのにんじんを噛んだ。母は、その後黙ったまま食事を続けて、空になった食器をシンクに下げつつ口を開いた。
「まぁ……アンタがいてくれてよかったよ。いなかったら、私一人だったら、とっくに全部どうでもよくなってた」
 その後母が押入れから出してきたのは、ダサい縞模様の腹巻で、「冷やすなよ」と私に放り投げてきた。
「……なんでわかるの」
「そりゃあね。そんだけわかりやすく腹庇う動き方してりゃわかる」
 見た目にはペタンコで、そこに生き物がいるなんて到底思えない。実感もない。ただ、日付を遡ればその時期に体を重ねた客は四人か五人いて、私は一体、どんな答えだったら、どう母に言われたらその二分の一を選択する気になったのか。
 今日だけは禁煙にしてやるから、と外にタバコを吸いに行った母は、やっぱりとても小さくて、私はなんだか泣きたくなった。縞模様の腹巻は、つけてみるととてつもなくダサくて、少し泣いた。




明日には変われるやろか

クリープハイプが聞こえない Vol.3 イノチミジカシコイセヨオトメ




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