見出し画像

【テュル活】アゼルバイジャン語個人レッスン最終回を終えて

昨晩、しばらくペンディングしてもらっていたアゼルバイジャン語個人レッスンのひとまずの最終回をオンラインでやってもらいました。講師は引き続きバクー在住の先生。年配の方ですがそのぶん経験もおありで、教わっていてストレスを全く感じませんでした。

先月バクーに行った時も対面ではなくオンラインでやってもらっていたので、受講する感覚そのものはさほど変わらずに受講することができました。が、いかんせんこちらも予習する時間などがなかったのが残念です。

さて、プライベートレッスン。決められた時間いっぱいにターゲットとなる言語を使いまくれるという利点はあるのですが、やはり前後回の予習復習をしておかないと効果が半減するなという感想を改めて持ちました。

そしてやはり、トルコ語ができるからといってアゼルバイジャン語ができるとは限らないという至極当然の現実を再確認できました。なんせ、適切な語が頭に浮かばないことが多いのです。

トルコ語でならこういうところだ…というので思い浮かびはするのですが、次の瞬間果たしてアゼルバイジャン語でも同じだろうか?と。そういう疑念が一瞬でも頭をよぎってしまうと、変な間があいてしまうことになりますし、仕方なくトルコ語でならこうだからアゼルバイジャン語らしくこう発音したら…と思ったら、だいたい通じないことが多い。バクーでこれまで数多く経験した瞬間を、プライベートレッスンの時間にははっきりと指摘されるわけです。もちろんありがたいことではあるのですが。

昨日指摘されたのは、例えばこんなところです。

・təsəvvür et- という語がわからず、トルコ語でも聞いた記憶がなかったのが、アゼルバイジャン語では「想像する」という表現だそうで。トルコ語だとdüşle-という動詞があるというのをぱっと思いつくのですが、先生曰くアゼルバイジャン語では*düşlə-のような動詞はないとのこと。たしかに、手持ちのどの辞書にもありませんでしたね…
・müsbetという語も出てきて、とんと想像がつかない。先生に意味を尋ねると、「ポジティブな、肯定的な」とおっしゃる。トルコ語だとすぐpozitifという便利な外来語があるというのでこちらを使いたくなるわけですが、この外来語はアゼルバイジャン語には入ってきておらず、おそらくアラビア語あたりからの借用語がそのまま使われているということのようです。
・「段落」を表す語は、てっきりアゼルバイジャン語でもparaqrafという語で通じるだろうと思っていたところ、訂正されてabzasという語を使いなさいと先生がおっしゃる。ではparaqrafという語はないのかというと、あるのだけど意味は「(文章の)セクション、章あるいは項」の意味で使われると。ホンマかいなと思ってその場でAz-Az辞典で見てみると、たしかにおっしゃる通りだったのです。これはわからなかった。意外な落とし穴でした。

先日、こんな記事を書きましたが…

聞いて理解できるかどうかという話と並行して、「自分自身でその言語を発話、あるいは書き出すことができるかどうか」という話についても語学としてはより意識する必要がある、ということを再確認した気分です。

やはり練習して、「アゼルバイジャン語ではそうは言わないよ」ということを指摘してもらったり自分で発見したりしながら実力を上げていくという地道な作業をやらないといけないなと思ったことでした。

トルコ語にあぐらをかかない。
これは今後も自戒として心にとどめておきたいところです。

そんなこんなで90分、昨晩はみっちりアゼルバイジャン語のお稽古をつけてもらいまして、当初約束していた全6回がこれで終了。さて今後はどうやって続けていくか。

自力で進めていくのはもちろんですが、可能なら引き続き謝礼をお支払いする形で、アゼルバイジャン語話者の先生に教わりたいところです。何か良い方法を考えなければ…。ということで、テュル活で糊口をしのぎ、また投資する日々は今年も続くのであります。

記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。Çox təşəkkür edirəm! よろしければ、ぜひサポートお願いいたします!いただいたぶんは、記事更新、また取材・調査のための活動資金に充てさせていただきます。