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何が残るか、何を残すか:某大会を前に、ヘイダル・アリエフ文化センターを思い出す

渦中のスポーツの祭典関連の話題の中でザハ・ハディード氏の名前を目にしたタイミングで偶然なのかどうなのか、トルコから持って帰ったものを整理していたら、こんなチケットが出てきました。

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biletはアゼルバイジャン語でもトルコ語でも「チケット」。アゼルバイジャン、バクーを訪れた際に立ち寄った文化センターの入場チケットです。「チケット」があるわけですから、中にもちろん入ってこれたのでした。

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チケットの裏はこんな感じ。アゼルバイジャン語学習者はじめ、テュルク諸語学習中の我こそはと思う方はぜひ何が書いてあるか読み取ってみましょう。

私はもちろん建築に関してはど素人もど素人なわけですが、それなりにこの文化センターのインパクトがいかにすさまじいものかを体験する機会に恵まれました。

いいねバクー、(手放しでは喜べないいろんな社会事情があるにせよ)(←ここ大事)こんなカッコいい建物があるんだなと素直に思った次第です。

空港から市街地に向かう高速道路を走っている途中に、バッチリ見えるようなロケーションに建てられています。人の目に留まりやすいロケーション、ぜったい計算に入ってますよね

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写真フォルダのメタデータを確認すると、私が訪れたのは2016年だったようです。アンカラからはじめて自力で行った時のことでしたね。

みてください…車の大きさとの比較で。とんでもない規模の建築です。現地で肉眼で見ると、もっとインパクトがあります。

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入り口近くに来て、この見え方ですからね。私などはこのあたりに来た瞬間、語彙力をなくしました。「うわー」とか「すげえな」しか言ってなかったのではないかと思います。

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入り口あたりから、市街地中心部(28 May駅方向)を見た角度だと、こんな感じの風景に。ご覧の通り、ただの施設になっておらず、バクー市民の散歩コースにもなっているし、憩いの場にもなっているようでした。たくさんの人がいたのを今でも記憶しています。

私はこの時、せっかく来たんだからということで上述の通りチケットを買って中の展示を見学しました(撮影は当然のことながらできませんでしたが)。建物の中に入れたという喜びももちろんですが、展示もそれなりに充実していたと思います。

この建物の存在はバクーを訪れる前から知っていましたし、設計者のザハ氏の名前も見聞きしていました。

その氏が、一時期は東京にスタジアム建設の設計を手がけるはずだったのが、結局断念されたと聞いた時、なんともったいない…と思ったのが正直な感想でした。ヘイダル・アリエフ文化センターを訪れた時には、その思いを一層強くしたものです。

東京の方はもちろんザハ案を断念するに至った諸事情があったのでしょうが、作品としての建築物が、大会後も残されることの意義はぜったいにあっただろうに、と思ってしまうのです。

バクーにとって、この凄まじいインパクトを残す文化センターが建っていることのプラスの効果がどの程度のものなのか、私には予想がつきません。お金には換算できない類のものかもしれないし、逆にそれほどインパクトがない可能性もある…かもしれません。

ただ、バクーという街の印象をプラスの意味でアピールするということになれば、フレイムタワーと並んでこのヘイダル・アリエフ文化センターの印象もやはり大きいのではないかと、外部の自分には思えるのですがはたしてどうでしょうか。

ザハ案に代えられた建築、例の大きな祭典が残った後に、私たちに残してくれるものは果たしてあるのでしょうか。あるとしたら(あってほしい…)、それは果たして何でしょうか。

例の祭典、またそこに至るまでのあれやこれやの是非、好き嫌いはともかくとしても。全てのことに相当のお金がかかった事業。何か少しでもよいインパクトを残してくれるであろうことを願うのみですが、はてさて…

とか言いながら、バクーの写真を蔵出しというのがこの記事の本当の趣旨です。
オリンピックもパラリンピックも正直、ワイにとってはどうでもいいんだよ!ワイはさあ、ただただバクーに行きたいだけなんだよォ!!

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