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2013年アナトリア南東部旅行の記録(6): アダナ、メルスィン

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南東部ツアー最後の街へ(ようやく)

8月15日。腹痛は相変わらず。移動が続いていること、外を歩き回らないといけないということであまり体力を回復できていないこと、そして何より少量とはいえ飲酒がたたって、お腹の調子は最悪です。

とにかく長距離バスの移動が怖い。それでも、なんとかこの南東部ツアーの最後の場所に来ました。ガーズィアンテプから、アダナを経由してまずメルスィンへ。

厳密にはメルスィン、そして最後のアダナは南東部ではないのですが、今回のこの旅のルートに入っているということで、このシリーズでの紹介としたいと思います。

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上の写真が、必死に腹痛に耐えながらアダナのバス発着所で撮ったターミナルの写真です。当然のことながら、かなり長い移動に感じられました。最初にアダナにしておけばよかった…。

この移動では、もう途中の景色も目に入っていません(写真がほとんど残っていない)。早くバスがターミナルについてほしいとだけ念じていたようです。

ともかくなんとか「事故」を起こさず、無事にメルスィンに到着。

ここが地中海沿いの街、メルスィン!…という感慨はありません。それどころではない。予約していた宿を一直線に目指します。まずは何よりも、安心して座れるトイレであることでした。

メルスィンで特にしたいこと、見たいものというのはなかったのですが、やはり和歌山の串本と関係があるということで、例のエルトゥールル号の記念碑くらいは見ておこうと思っていました。

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全く同じものが、実際に和歌山の串本町にもあるのだそうで。あとは、「串本通り」というのもあるらしいと聞いてはいたのですが、結局たどり着けず。とにかくこちらは、腹痛との闘いもあって、散策はギリギリの量しかできませんでした。返す返す、運が悪いなと思ったことです。

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やしの木があるのが南部アナトリアの風景、という印象があります。この後のアダナもそうでしたが、町の雰囲気は、悪くないなと思っていましたが。そんなに大きすぎる街でもないし。ただ…

地中海を見たなあ、という感慨はありました。内陸続きの旅だったので、少しは気が晴れたように思います。あとはひとまず、メルスィン名物のタントゥニ(すみません、このときのタントゥニの写真は残ってなかったようです…)がおいしかったという思い出。

それ以前に、とにかくこの下痢を直さないといけないということで早めに宿で寝ていました。えらい自分。この下痢の中、なんとか写真を撮って回っているだけでもえらくない??たぶん、そういうことを思いながら。

以上のような思い出を残す、メルスィン訪問となりました。その後現在まで、まだ再訪の機会はありません。当地に知り合いはできたのですが、このご時世でもあり、また訪問するとしても、それはもう少し先のことになるかもしれませんね…

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最後のアダナ、そして(自分)恒例のやらかし

さてさて8月16日、最後の街アダナへ。

メルスィンからアダナへは、鉄道で行こうと決めていました。トルコの国営鉄道をほとんど利用したことがなかったので、短い路線ではあるのですが列車に乗ってみようということで。ということで、メルスィン-アダナ間の1時間ほどの移動でしたが、念願果たせました。よかった。

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メルスィン駅と書いてあります。ここから鉄道。まだ腹痛は続きますが、ひょっとしたらこの時点で多少はよくなっていたかもしれません(下痢自体はイスタンブルに戻ってからも続いていて、結局帰国2日前くらいにようやく回復したのでありました)。

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結構利用客が多いなという印象でした。近郊、タルススという街にも停車するので、そのあたりの地元の人も利用していたのかもしれません。

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車内の写真。想像以上にきれいだなと思いました。もっとこう、年季の入った感じがするかなと思っていたのですが、さすが国鉄。

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1時間ほどの移動で、あっという間にアダナにつきました。

メルスィンから程近いことが、地図からもお分かりいただけるかと思います。

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国鉄、昔のSL車の展示もありました。日本とよく似ているというか、こういう列車がかつてはトルコにもあったのだなあという。

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等々、言いながらアダナ駅を出て街に向かいます。それにしても…

いやアダナ、暑い。暑さの質が南東部とちょっと違う!

とりあえず、またも宿に向かって一直線です。お腹の調子が元に戻るまでは、トイレに落ち着いて座れる拠点を確保しなければならないので…

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最後の街の宿なので、奮発して少しグレードの高い部屋を予約しておいてよかったなという思い出です。この後2017年に再び国際学会でアダナを訪れる機会があったのですが、この2013年の旅行で気に入った(+お世話になった)ので、このホテルにはもう一度泊まりました。

さてさて、お腹はくだしていても空腹にはなるので。とにかくその辺で何かということで。残っていた写真はこれです。

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これはイスケンデルケバブといって、ヨーグルトがケバブに添えられているタイプのケバブ、トルコではポピュラーな高カロリーめしです。(我ながらお腹いたいのに、ようこれを食べようと思ったな…)

アダナにきたのに、ひょっとして私はアダナケバブを食べなかったのでしょうか…?まあそれはともかく。


アダナでは、体力的にも相当消耗していたように記憶しています。なので、ディヤルバクルやウルファほどはしゃいではいなかったかもしれません。それでも、見ておいて損する街というのはないので。博物館などを楽しみにしつつ、旧市街を散策しました。しかし、残念なことに…

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エスノグラフィー博物館、開いていなかった…!結構楽しみにしていたのになー…見るからに工事中、入ってくるなオーラがありました。

仕方ないので、考古学博物館の方へ。こちらは開いていたので安心です。

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やっぱり、アナトリアってかつてのいろんな民族が行き来していたんだなということが、出土品などからよくわかります。

今はもちろんテュルク系、トルコの人たちがマジョリティとして君臨しているわけですが、歴史的にはいろんな系統の人たちが層をなすようにしてこの土地に生きてきたのだな、というか。

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アダナもまた、考古学的には重要な場所であるということなどを博物館で知る機会があったということですね。

あとは有名な昔から伝わる石橋を見たり、またはとある有名な財閥の資本で建てられた、超巨大モスク(この記事のトップ写真のそれです)を眺めたりという過ごし方をしました。まあ最後の街としては、アダナでよかったのかもしれません。

地獄のような夏の暑さも経験できたということで、ようやく10日間にわたる南東部(および南部)アナトリア弾丸ツアーも無事終了となりました。8月18日、空路にてアダナからイスタンブルへ。そこからは10日間ほど、資料収集なども兼ねながらイスタンブル近辺を歩き回る旅となりました。

…と、無事にイスタンブルに帰っていればよかったのですが、やはり何かやらかすのが私のあかんところです。

毎回旅行で何かをなくすので有名な私ですが、このアダナの空港で、セキュリティチェックの時に日本のアパートの鍵を落とすというドジっ子っぷりを発揮するという。

イスタンブルに戻って、アダナ空港に電話して聞いてみたりもしたのですが、結局鍵は見つからず。それに仮に見つかったとしても、またそれを取りにアダナをもう1回往復する?ということになったらそれも困るわけで。

泣く泣く日本の当時住んでいたアパートの大家さんに連絡して、合鍵を不動産屋さんに預けてもらうという始末となったとさ…

ということで、今回の旅の教訓。
一つ、トルコにはいろんな風景があると知れ(イスタンブルだけだと思ってたらえらいこっちゃ)
一つ、生ものをできるだけ避けよ(お腹壊すとえらいこっちゃ)
一つ、鍵はなくすな(なくすとえらいこっちゃ)

まとまった(?)ところで。

以上、南東部および南部アナトリア旅行の記録でした。シリーズ通してお読みいただき、ありがとうございます。簡潔に一つの記事をまとめるつもりが、どの記事も当初の想定よりかなり長くなりました。冗長だったなと我ながら思いますが、とにかく当地の写真などを楽しんでいただけたのであれば書き手としても光栄に思います。また、エクストラコンテンツの写真も、これまでと同様に以下に展示しますので、マガジン購読および投げ銭ご投入の方はどうぞご覧ください。
このシリーズ、最後にイスタンブルのことについても書いて終わろうと思っています。後一つだけ記事を書きますので、そちらの方もお待ちください。

(ひとまず完)

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