2004年のアンカラ留学を思い出す
昨日のこの流れで。
一番古いフォルダが、2004年のでした。これは記憶があって、当時のトルコ政府奨学金制度でアンカラ大学に留学が決まった時、餞別ということで父がデジカメを買ってくれたので、それを使っていたと記憶しています。
型番は忘れましたが、Canon Ixy系列の製品でした。まあまあのお値段で大事に使っていたのですが、数年後同じくトルコで失ってしまうという失態を演じてしまったことでした(たぶん盗られている。書いてたらこうやって思い出すことがたくさんありますね)。
ちなみに、デジカメは海外でそれを合わせて合計2回なくしています。デジカメ、大事。
さて、どんな写真があるやらと思って見てみましたが、個人が写っているものはここでは回避しつつ…。
これは到着し手間もない頃、しばらく滞在したウルス地区(アンカラ旧市街)の宿の窓から撮影したはずです。渓谷をはさんで、右手がアンカラ城。左側が街区。すごい民家の並び方してるなというのが最初の感想でした。
ようやくルームシェアがかなって、割り当てられた部屋に入ったときの写真だったと思います。右端に灰皿とたばこ。そうです。私は当時バリバリのヘビースモーカーでした。その後禁煙して現在に至ります。
ベッドのひどいこと。たしかこのベッドは壊れているかなんだったかで使い物にならなくて、結局マットを床に置いて寝ていたと思います。
お世辞にもきれいな部屋ではなかったけど、そのぶん家賃負担は安かったし、何より安宿で何日も滞在するより精神的にはるかにいいわいな、と思っていました。この後このアパートのシェアしていた住人も一人ずつ入れ替わったりして、少し大きめの部屋に移りました。
当時は午前中に語学学校、午後からアンカラ大学の授業を聴講という日常を過ごしていました。トルコ語の最初のブラッシュアップの時代です。短くも、自分にとってはなくてはならない時代。
大学、大学院でそれまでそれなりに勉強していたと思っていたトルコ語はぜんぜん使いものになってなかった、ということを思い知らされた、多少ほろ苦くも貴重な時期です。
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