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地元、長崎への再適応と「言語スイッチ」の切り替え

2020年1月にトルコ、アンカラから日本に本帰国。以来、実家のある長崎に帰って来まして、頃合いを見てまたトルコ語等々の仕事をしやすい(であろう)場所に引っ越していくのかな、と漠然と考えてはいたのですが、なんだかんだとタイミングを逃している間に気がつけば長崎に再び拠点を置くようになって1年半以上が経ってしまいました。

高校卒業後は大阪に長年いたわけですが、長崎はもちろん生まれ育った街。

実家でも当然家族とは長崎方言を使って会話するわけですし、長崎自体も勝手知ったる場所ではもちろんあったのですが、はたして長崎方言のカンはどれくらいで戻るのだろうか、ということは帰国前から自分自身に対して興味は持っていました。

もちろんそれまでも長崎にはしょっちゅう何かあるたびに帰省してはいたので、完全に長崎方言から離れた時期はないと言えるのですが、自分自身が一度長崎を離れると、なかなか母方言を使う機会というのは多くありません。

大阪にいるときはもちろん、ほかの都市に行った時もそうですし、国外でもトルコでは長崎方言を必要とする場面というのはほとんどない。仮に長崎から離れたところで使ってみたとしても、ずいぶん奇妙なアクセントになってしまっていたようにも思います。

ともかく、18歳で大学進学で離れて以来、何年振りかの長崎復帰になっているわけですが、オフラインでは長崎方言にさらされている状態の一方、仕事などでオンラインで人と接する場合は切り替えをしていることになります。オープンアカデミーのトルコ語講座では、共通語アクセントに切り替えている…

…はずですが、実際にはうまくできているかどうか?受講されている方に聞いてみないといけません。長崎方言アクセントになっている可能性はなきにしもあらず…

最近はずいぶん減ってしまいましたが、トルコ語に切り替える機会もあり得ます。そうやって考えていくと、どれくらいうまくいっているかはおいておいても、自分なりには言語のスイッチを切り替えているような感覚というのはもっています。

専門的には、このような切り替えを「コードスイッチング」と言ったりもするのですが(全然自分の専門とは違うのですが)、意識・無意識はともかく、自分の場合は意識的に今はこれ、今はこっち…のような切り替えをしているという感覚をもっています。

例の「あるじとしもべのダイアローグ」を書いているときなどは、なんとか自分の中の大阪方言を引き出しながら「あるじ」のパートを書いているという感じにもなっています。

結果的に怪しげな「大阪方言」にはなっているのですが、それは母方言ではない自分の言語知識の反映でもあって、結果としては大阪にいたことがない「ぴの」の状況とマッチしているのではないか…という期待もあるのですが、果たしてうまくいっているかどうか。まあ、遊びで書いているわけですのでそこまで悩む問題でもないんですけどね…

そんなこんなで、長崎方言はあっという間に取り戻せたかなと改めて思う昨今ですが、5年間あれだけさらされたトルコ語も、油断するとすぐ忘れてしまうというんですから世の中は厳しい。ほかのテュルク諸語もいいのですが、トルコ語は自分にとっては生命線。なんとか毎日少しでも触れておかないといけない…

ということで、今日も音楽を聴くなり、活字を目にするなりと、あの手この手でトルコ語を日常のどこかに取り入れることになるわけです。母方言は楽だ…そしてやはりトルコ語はきびしい…

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