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【アンカラ滞在記】最初の年末年始:トルコで初めて、不動産交渉に行く

この記事は「アンカラ滞在記」(仮)の原稿の一部です。前回の記事はこちら。今回はトルコで着任してから、物件を探しに行ったときの話を。

年末

着任しての2週間はあっという間。学期としては中途半端なタイミングということがあったので、期末試験の作成などもなかったのですが(そもそもこの2014-15年の秋学期は自分の名前で担当している授業がありませんでしたが)。

ということで、次の2015年春学期に備えて、生活ともども準備をしておいてくれということだけ言われていました。それでも、労働契約関係の書類を出したり次の学期の準備をしたり、あるいは代講をしたりと、なんだかんだといろいろ雑用に追われていたようです。

毎日、帰宅する時は相当消耗していたことだけはよく覚えています。一つには雑務の多さ、もう一つには職場でのトルコ語と日本語の切り替え。もちろんトルコ語が全員とにかく早いもので、聞き逃すこともこの時期は多かったように思います。

サフランボルで力をためる

春学期からは、体力勝負のようなところがあったと思います。一つには、日本で一週間に7コマ、8コマと授業を持つ機会がなかったということ。日本でももしそれくらい授業を持たせてもらえていれば、そういう体力も持てていたのかもしれない…と今でも思います。

新しい職場で気が張っただろうから、年末年始くらいアンカラを離れてどこか遊びに行ってきたら、と同僚たちからも勧められていました。思い返すにつけ、本当にいい同僚たちでした。

アンカラからそれほど離れていないところで、自分の行きたかった場所といえばもう、サフランボルしかありません。ネットで宿の予約をとって、大晦日から1泊でサフランボルへ。

サフランボルについてはまた稿を改めて書くことにしますが、この時の訪問もいろいろ考え事をするのに絶好のチャンスとなりました。仕事がんばろう、そしてアンカラに帰ったら、懸案の引越しをがんばろうと。

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サフランボルはいいものです。ほんとに好きな街。個人的には、トルコでも1番です。

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単身不動産屋さんへ

2015年1月年始。日本ならまだ正月気分だったと思いますが、ここはトルコで祝日は1月1日の新年だけ。ということで、その翌日からアンカラ市内の西のはずれのほうへ向かいました。

郊外だと家賃が安くなるというのと、電車で一本で職場まで行けるので同僚が多数その地域に家を借りているよ、という情報を得ていたのです。まだ契約するときには、税金等々引かれたあと実際の給料がいくらくらい入ってくるかがわかっていなかったこともあって、とにかく家賃は安く抑えようと思っていました。

あらかじめ知り合いに、この不動産屋がよいと言われていたところがあったのですが、勘違いしてしまってその隣の不動産屋さんに入ってしまうという。それも、外国人一人で来たものですから、最初は不審な顔をされたのをいまだによく覚えています。「保証人は?」と言われて(トルコ語ですもちろん)、その単語を知らなかったものですから(これは私が悪い。こういう使われそうな言葉はあらかじめ調べてから行くべきでしたわな)「?保証人って何」とか答えてあきれられたものです(おかげで、kefilという単語は完璧に覚えましたよね!死ぬまで忘れないでしょう)。

ともかく、勤め先があるし、給料ももらえる身だということでなんとか1件紹介してもらいました。空いている部屋があったので、すぐそこに行って下見してこい、決めるなら明日までな、という趣旨のことを言われて、そこから歩いて10分ほどの15階建てマンションへ。11階の部屋でした。

こんな高いビルには住んだことないけど、建て付けとか大丈夫なんだろうかと大変不安だったこともよく覚えています。ともかく…

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うわ、広」と思ったのが唯一無二の感想でした。
トルコ、どうやら物件あたりの広さが日本と全然違うということを改めて感じたものです。留学のときにそういうことを経験してはいたのですが、あのときはルームシェア。今度は2部屋と1リビング(トルコ語では2+1 (iki artı bir)と言います)で、たしか80平米弱はあったのではないかと思います。

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まだ何もない部屋ですが、住むイメージは浮かびました。

ということで、不動産屋に戻って契約したい旨を伝えました。

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最初に住んだマンションの近所の風景。静かなのも、ここに決めた重要なポイントとなりました。

本当はもう少し4階建の2階とか、3階とかそういう物件がいいなとは思っていたのですが(それも紹介はしてもらったけど)、そのタイプの部屋だと冬の光熱費(特にガス代)が大変なことになるからセントラルヒーティングで毎月一定額払い続けるけど冬場に値段が跳ね上がらないマンションの方がいいんじゃないの、と。

不動産屋さんに説得されてなるほどたしかに、となって決着。その後も何回か足を運んで、1月中旬についに入居となりました。

最初に手配してもらった、大学の宿舎は1ヶ月弱で引き払いとなりました。管理人さんにはなんでそんな早く出るんだ、もうちょっといたらよかったのにという趣旨のことは言われましたが。

いろいろ制約も大きかった宿舎での生活を思うと、今でも早い段階でのアパートへの引越しは正解だったかなと思います。

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ドアはこんな感じ。向かいのご家族も親切な方たちで、なにかと助けてもらえて運がよかったと思います。

入居してすぐに、必要最低限の白物家電、ガスコンロ、ベッドなどを購入。こういうことをとりあえずほぼ一人でこなせたということは、トルコ語の経験という点でも自信になったと思います。

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洗濯機はシャワールームに、と思っていたら、運搬業者の人に「置くスペースがないよ」と言われて、結局台所に設置されることになりました。本来ならここには食洗機か何かが置かれるべきだったんでしょうけど…さすがトルコであるなと。入居する時はさすがに洗濯機のスペースまで計算できなかったわ…

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ソファやベッドは、セットで販売していた業者からまとめて買いました。結局本帰国するまで5年間、ぜんぶきれいにもってくれたので買ってよかったと思っています。家具付きの物件もアンカラにはありましたが、家賃はその分高くなるということで。それなら、何年いるかわかんないし、自前で買ったほうがいいよな、という判断だったわけです。

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記念すべき本棚が来た日。2015年2月3日。
本が並べて置けるということは、なんと幸せなことだったでしょうか。日本からも何回かに分けて郵送で送っていたものがあって、アンカラにきて半年ぐらいはずっと自分で職場宛てに送ったものを自分で受け取っていました。

春学期はじまってすぐ、日本から同業(と言っても彼は日本語学、国語学が専門だから全く同じでもないのですが)の悪友(ほんとに悪友です。私に近い知り合いなら誰のことかすぐわかる!)K氏が日本からはるばるアンカラに遊びに来てくれたのは(今さらここで書くのもなんですが)ありがたかったというか、うれしかったです。写真フォルダには、酔い潰れて寝ている彼の写真が残っています(気の毒だし訴えられても困るので、ここで晒すのはやめておきます!)。

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壁時計は、イスタンブルの風景のものにしました。そんなに高価なものではなかったのですが、気に入って気に入って。持って帰ってくればよかったですよね…今思えば)

彼を泊める場所を確保できたという点でも、早い引越しは功を奏したと言えるでしょう。

しかし、この記事を書きながら思い返すに、部屋の写真を見ると懐かしい気分になります
結局このアパートで、滞在の前半、1年半ほど過ごしたことになります。5年の滞在のうち、このあとは1回だけ引越しをしました。ぴのと出会ったのは、もちろんその引越しの後のことです。

(次回に続く!)



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