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本への愛着が強くなりがちな理由:一テュル活民の談話より

キャプションの写真は、トルコで発行されていた『新しいトルコ(Yeni Türkiye)』という雑誌の企画で、「コーカサス特別号」の11巻ぶん。

まあ購入した当時も現地通貨ではまあまあな額でしたが、当時から科研費でアゼルバイジャン語の研究にとりかかっていた身としては、これはぜひ入手しておかねばなるまいということでがんばって全巻揃えたものです。購入した書店から、アンカラの当時の自宅に持って帰るのも一苦労でしたよね…。

さて先日、『タンジマート期~共和国期トルコ百科事典』の話をしました。

持って帰るのが大変な分を加味したうえで、自宅にそれがあることをほめたたえてほしい(?)という趣旨の雑文を書いたわけですが、アンカラの5年間でどのくらい蔵書が増えたか、という話になってくるとちょっといろいろ口をつぐんでしまいそうになります。

というのは、そもそも本を何冊買ったか(持っているか)というのをいちいちカウントしていないというのも一つあるのですが、もともと渡航する前に日本から持って行ったあと、本帰国に際してまた持ち帰った本などもあったりするのです。もちろんトルコにいる間に現地で買った本が圧倒的に割合としては多いのですが、たしか送料は全体で、日本円だと150,000円くらいにはなったんじゃなかったかと記憶しています。

冊数はどれくらいでしょうかね…。アンカラのトルコ・日本基金センターや職場にそのまま寄付してきた和書のぶんを差し引いても、おそらく600-700冊くらいは持って帰ってきたのではないかなと思います。もっと多いかもしれないし、もっと少ないかもしれませんが、記憶としては大体そのあたりの数値かなと。

それだけの冊数ですから、トルコで仕事をしていたときに少しずつ貯めていた額、相当輸送料でもっていかれたものです…。
2020年の2月ごろから3月ごろにかけて、現地から送っていた(正確には、行きつけの古書店にお願いして大きな小包を何回かに分けて送ってもらっていたのですが)それらの小包が届いたときは、遺失なくぜんぶ長崎の実家に届いたので安心したと同時に、これからオレ、こんな本ばっかり抱えてどうするんや…?と軽く落ち込んだのもよく覚えています。

トルコから持ち帰ったのは、本とねこ一匹だけ…

まあしかし、とはいえ本は財産ですのでね。
あの世にはもちろん持っていけませんが、それまでに人生の苦楽をともにする友人のようなものに自分は見立てています。

とりわけ、日本からだとなかなか入手するのが難しいものも多く、近年は購入すらインターネットでは事実上できなくなったのです。たとえばトルコ言語協会という国の機関が公刊している書籍などは、個人で購入する際にトルコが発行した国民向けのID番号の入力が必要になってしまっています。我々の立場からすると改悪としかいいようがないのですがね。

こういったことを考慮に入れますと、どの本もそれなりに苦労して今の自宅の一角におさまった本たちですからね。1冊1冊に愛着が強くなるのもいたしかたなかろうよ、というそういうお話です。

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