【地元散策の記】三重町:偉大なるテュルク学の先人、ポリワーノフゆかりの地を訪れてみた
昨日木曜日に、気分転換も兼ねて長崎県長崎市三重町へ行ってきました。
目的は、かつてこの地を訪れたテュルク学の偉大な学者、ポリワーノフの足跡をたどること…(って、気分転換になるのかどうなのかというツッコミはあろうかと存じますがそれはさておき)。
彼が昔泊まっていたと伝えられる宿の場所を事前に調べ、実際に訪れてみた次第です。果たしてその結果たるや…。
と、溜める必要もありませんで。
予想はついていたのですが、さすがに今は彼の形跡が残っている場所はほとんどありませんでした。
まあしかし、せっかく車で1時間以上かけてきたので、散策くらいはしてみようということで。同地域の高台にある正林寺を訪れ、ポリワーノフがかつて眺めたであろう、海の景色を一望してきました。
せっかくなので本堂のほうにお詣りいたしましたら、住職さんがいらっしゃったのでご挨拶をしますと、どちらからいらしたんですか、と住職さんの方から話しかけてきてくださいまして、その後少しお話を伺うことができました。
どちらからいらしたんですか、と尋ねられたので経緯を説明しまして、ポリワーノフの話をしまして、三重の方言の記述が…という話をしました。すると住職さんは、それなら郷土誌を見ていったらよいですよとおっしゃる。
郷土誌とはみなさんもご存知の通り、地元の歴史や文化が記されている資料です。最近改訂されたはずだから、中央公民館に行ったら見せてくれるはずですよと住職さんにご親切に教わったので、それならぜひということでお寺から徒歩で公民館に向かいました。
果たして公民館の職員さんにもご丁寧にご案内いただきまして、三重の郷土誌を閲覧してきました(長崎市の図書としても登録されてあったので、貸し出し可能だということだったので借りてきました!)。
公民館で見た郷土誌には三重の方言に関する記述が簡潔にではありますが載ってあって、ポリワーノフの長崎市三重方言の記述についても言及がありました。
ポリワーノフが三重に来て調査したのは1914年だそうなので(ちなみにコンサルタントは当時18歳の地元の女性だったそうです)、当時の調査から100年以上が経過した現在の三重のことばはどう変わってきたでしょうか。ちゃんと調査したら新たな発見があるかもしれないなあと思うなどします。
あと、郷土誌にはポリワーノフが長崎の他の場所ではなく、調査地を三重にした理由が記されてあって、なるほど人の縁というものは大きいのだなとも思った次第です。ずっと三重を調査地に選んだ理由が知りたかったので、それが知れたのも収穫でした。
近くに樫山町があって、天福寺というお寺も見応えがあるからぜひ訪れてみてはいかがですかと勧めてくださったのは上記の住職さん。ということで車でさらに数分の距離でしたが、隣接する樫山町の天福寺にも行ってきました…が、続きは次回の記事で。
とりあえず、偉大なるテュルク語学の先人を想う機会にもなりましたし、三重町を訪れてみてよかったなと思います。静かな町で、ある意味長崎らしくて「よき」だなと思いました。
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