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【LPP蒐集日記】本買うのに後先考えるヤツがいるかよ(まあいるんだけど)

改めて自分のLPP蒐集というこの行動の動機とは何なんだろうかと考えてしまう瞬間というものがあります。

先日、2冊買い足したばかりでありました。たしかその時にも言及したと記憶していますが、1冊はゴート語訳(ほんと、我ながらこれに数千円つっこめるというのはどうかしていると思う)、そして一番最近入手できたのが、ドイツ諸語版というものでありました。

ドイツ語?いいえ?
1ミリも知りません?
ミリしらですよミリしら。現代風の言い方でいうと(現代風?)

それでも、買いました。
買ったものは仕方がない。本棚に追加するしかないですね!

なぜ買ったのかといいますに、手元に置いておきたくなったからです。それ以上に何がありましょうか(いやない)。

それにしてもいまさらながら、この自分の蒐集という活動なのですが…おそらく周囲のほとんどの割合の人に理解してもらえないのかもしれないなと思ったりします。

トルコ語で書かれている本に数千円、数万円突っ込むのであればまだたぶん理解してもらえるのだろうとも思うのですが(わかりやすく「必要経費」で納得してもらえそう)、読めない言語で書かれている本にお金を出せるその動機とはなんぞや、と。

そう言われてしまうと、今この雑文を書いている現在でもまったく答えが出てこないなあというのが偽らざる心境なのです。


しかし実際のところ、この自分の行動の原因は何なのかとわりと真剣に考えてみますに、所蔵したい本の集め方の考えが多くの人とは異なっているということは一つ考えられます。自分が自宅に置いておきたい本の基準はいくつかあるのですが、

  1. 必要だ(と思った)から買う

  2. 今は必要ではないが、将来的に必要になる可能性があるから買う

  3. ただほしいと思ったから買う(必要性は度外視)

この3つ目の基準が問題でしょうね(実際、これじゃ緩いっすよね…)。
ではなぜそこでほしいと思ってしまうのか、ですが、これはもう自分のその時その時の興味関心の一端に触れていたからとしか説明できないような気がします。

もう一つには、自分のこれまでの生活様式というか経験が大きく影響していて、その延長として欲求を満たす行動をとっているだけなのかもしれません。自分の経験の大きな特徴というのはおそらく間違いなく、わりと多くの言語、あるいはその使い手の人たちに触れる機会があったということに尽きると思うのですよね。

今から30年ほど前、大阪にあった外国語大学に入学した瞬間から、濃淡の差はあれど外国語も含めて多くのことばに触れるという経験を現在に至るまで重ねてきました。

今の自分にしてみればそれはきわめて自然なことで、気が付けば身の回りがたくさんの言語で囲まれていることで安心するような状態になっているのです。長崎の片隅に暮らしていても、やはりそれは変わらない。

これはもう、ある種の性癖なのかもしれませんね(さすがに大げさか)。

あるいはいろんな言語や文字に囲まれていないと気が済まない体質になっているとでもいうべきでしょうか…そうすると、軽い依存症のようなものなのかもしれないですね。カフェイン、ニコチン…多言語…

かくして軽い多言語依存症疑惑のわたくし吉村は、またお金が貯まったらLPP蒐集を続けるのだろうなと思います。

あと何年生きるやら、そしてどんな余生を送ることになるかは神のみぞ知るというところでしょうが、一つ自信を持って言えることがあります。

ここまで読んでくださった方ならだいたいもうご想像がつくと思いますが、私の死後お金はほとんど残っていないだろうなということ(そもそも稼ぎも少ないしね!!)。

それと、行き先に困るに違いない多言語『星の王子さま』が…災害や事故等で焼失しない限りは…200冊以上はそのままになるということです。

まあ、これはもうね。
しかるべき時期が来たら、しかるべき人に譲ろうと思っています。死後に残せるほぼ唯一の財産かも。いずれにせよ、この多言語LPPを財産と思ってくれる人に譲ります。

とはいえ、さすがに今この話するのもちょっと違うっすな。
40年後くらいにこの件はまた相談しましょう。
その時までみなさま、どうぞごきげんよう…

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