フクシマからの報告 2018年春その1 放射能の村に8回目のサクラ咲く 除染業者が去り放射能は残った
2018年4月16日から18日にかけて、福島県飯舘村を訪れた報告を書く。
東京から約3週間遅れて、村はサクラが満開だった。福島第一原発事故発生時から数えて、8回目のサクラの開花である。
(2017年1月9日付 福島民報より)
上の地図を見れば、福島第一原発から流れ出た放射性物質の雲が通った(2011年3月15日に2号機から漏れた可能性が高い)市町村が、今も汚染の傷跡でズタズタにされている様子がわかる。飯舘村は左上に見える。
2011年3月の福島第一原発事故の発生以来ずっと、私はこの標高500メートルの山村に通っている。もう何回目か数え切れなくなった。50回は超えていると思う。
阿武隈山地の自然に抱かれた村の、春夏秋冬ごとの美しさを写真で記録するためである。2012年春までの最初の1年の作品は「福島飯舘村の四季」(双葉社)として刊行した。
何度も通ううちに、強制避難(2011年4月22日)で村人が消えた様子から、避難指示解除(2017年3月31日)、そしてその後の現況までを記録する結果になった。偶然、私はこの原発災害という歴史的な事件の記録者になった。おそらく、原発事故発生以来7年間ずっとその作業を続けている報道記者は、2018年春現在、ほぼ私一人である。
そして今は、政府が避難指示を解除したあと、村がどうなっていくのかを歴史に記録しようとしている(前々回の本欄で書いたように、村人はまだ事故前の1割程度しか戻っていないことを統計は示している)。
今回の訪問はサクラを中心に、春を彩る村の自然の美しさを撮影するつもりで行った。放射能汚染という重苦しい現実を度外視すれば、サクラの薄墨色やスイセン、ヤマブキの黄色で彩られた春の村は、言葉を失うほど美しい。私がもし「日本でもっとも好きな場所を挙げろ」と言われたら、飯舘村は間違いなくその一つに入る。
しかし、やはり現地に行くといろいろな変化が目に飛び込んでくる。4月からの新学期を機に、保育園や小中学校が村にオープンした。農作業をする村人の姿を見かけた。村の再生を心から祈る私としては、うれしい光景だった。しかしより詳しく取材してみると、表面的な現実の奥が見えてくる。それは単純な期待や予断を許さない、過酷な現実である。
(冒頭の写真は『長泥』集落を封鎖するゲート。住む人がいない封鎖の内側でサクラが満開だった。以下、写真は特記のないかぎり2018年4月16〜18日に福島県飯舘村で撮影)
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