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福島第一原発事故による強制避難が解除され1年 高原の村は除染ごみと家屋解体で激変 帰還した村民は1割

 今回は、2018年2月18日から20日、福島県飯舘村を再訪した報告を書く。2017年3月31日で同村住民への強制的な避難命令が解除され、およそ1年が経った。「避難解除」とは「除染が済んだので、住民は帰っていい」と政府が宣言したことを意味する。その後、村がどうなったのか、復興が始まっているのか、自分の目で確かめたかったのだ。

(2017年1月9日付 福島民報より)

 結論を先にいえば、2011年3月11日当時約6500人いた村人のうち、帰ってきたのは618人にすぎない(2018年3月1日現在)。まだ6,000人近くが村外での避難生活を続けている。つまり「福島第一原発事故で村人の9割がいなくなってしまった」という計算になる。

 福島第一原発事故の汚染被害にあった多数の市町村の中でも、飯舘村は悲劇のシンボルのようにマスコミに取り上げられてきた。私にとっても、飯舘村は、被災地の中でも個人的に寄せる思いが特に深い土地だ。

 村人が全員避難(つまり強制的な立ち退き)を命じられた2011年4月22日、私は村にいた。その少し前から、村の東隣の南相馬市に私は泊まり込んでいた。同市が20キロ、30キロラインで分断される実態を取材しようと、取材に入っていたのだ(その時私は、まだ除染ゴミの入った黒いフレコンバッグの山に覆われる前の、美しいままの村を見た。そして取材に通うたびに、その変貌を目撃することになった)。

 標高約500メートル、阿武隈山地の高原にある飯舘村では、ちょうどサクラが咲き始めていた。東京圏より約3週間遅かった。山肌をピンク色の山桜が染めていた。田畑や牛小屋の間に赤や青の農家の屋根が散らばり、その間を、原生林から湧き出た水がせせらぎになって流れる。そんな「日本のふるさと」の原風景のような村を、自衛隊や機動隊の車両がごうごうと走り回り、スピーカーが大声で避難を呼びかけていた。

 それはまるで報道写真集で見たベトナムやボスニア・ヘルツェゴヴィナのような光景だった。

 村人たちはリュックを背負い、バスに乗り込むところだった。不安、恐怖、怒り、悔しさ、悲しみ。そんな感情がごちゃごちゃになった村人たちの表情を、私は一生忘れることはないと思う。

 福島第一原発から30〜50キロも離れた村の人々は、原発の存在をほとんど意識することなく暮らしていた。事故後も、自分たちが放射性物質汚染の被害者になるとは思っていなかった。しかし、3月下旬になって、上水道が汚染されていることがわかり、毎時300マイクロシーベルトを超えるような猛烈なホットスポットが村内あちこちで見つかった。3分半そこにいると一年間の被曝許容量を超えてしまうような汚染だった。

3月15日、福島第一原発2号機から流れ出した、もっとも高濃度のプルーム(放射性物質を帯びたチリの雲)は、太平洋から陸に吹く風に乗って北西方向に運ばれた。そのプルームが阿武隈山地にぶつかり、雨や雪になって地表に降り注いだ場所が、飯舘村だった。

 そんな悲劇が進行しているというのに、村は春のまっさかりだった。サクラの傍らで、ミズバショウやスイセンの花が村を白や黄色で彩っていた。カエルたちがため池で恋を語っていた。切ないほど美しい風景だった。

 その自然と、人のいなくなった村の移り変わりを記録しようと、私は東京から何度も足を運んだ。一体何回村を訪ね、歩き回ったのか、数え切れない。その集積が「福島飯舘村の四季」(双葉社)という写真集になって結実したのは、2012年6月である。この本は、私の写真家としてのデビュー作になった。私個人の職業人生にとっても、村は楔のように打ち込まれて抜けることがない。

 当時、原子力災害対策特別措置法は、原発から8〜10キロの避難しか想定していなかった。それを20キロまで拡大して強制避難は実施された。外部からは立ち入りできないよう道路は警察によって封鎖され、許可なく入ると逮捕された。

 30〜50キロの地点にある飯舘村は「飛び地」のように強制避難の対象になった。しかし封鎖の対象にはならなかった(法律が想定してい¥た封鎖可能な距離を超えていたから)。そのため、原発直近地点と同じ程度の汚染が広がっていたのに、私のような取材記者が自由に出入りすることができた。滑稽なほど矛盾した政策なのだが、私が村の記録を続けることができたのは、政府の矛盾した政策のおかげ、怪我の功名である。

 その強制避難が、原発事故後6年で解除されたのだ。

 以下、写真77点とともに、飯舘村の様子を報告する。7年間現地で撮り続けた写真を多数入れて、村の変貌がわかるようにした。

(巻頭の写真は、民家の玄関先にあったカエルの置物。村では良質の白御影石が産出する。『家族が無事に帰宅する』を祈願して、家の前に御影石のカエルを置いている家が多い。2018年2月20日、福島県飯舘村で)

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