「自分の真面目さ」を否定していた僕が肯定できるまでの話。
そんなにマジメに考えなくていいんよ
あんたはマジメすぎるんだよ
こんなに「マジメ」が当てはまる人に初めて出会った
そんなことばかり言われ続けてきた。
言われなくても「絶対そう思ってるよね?」
と思わせる表情を見続けてきた。
辞書的な「真面目」の意味は
本気であること。うそや冗談でないこと。
まごころをこめること。誠実なこと。
僕は偽ることが嫌だし、冗談を冗談と捉えることができない。
冗談だと分かっても気軽な感じで反応ができない。
何事もやるのなら本気でやりたいし心を込めたい。
それを誠実というのならそうだと思う。
だから、力が入っていて、話し方が堅くなって、ラフな自分というものが見えないのだと思う。自分で「気軽さ」がないなぁと何万回も思っていたことだ。
今でこそ、直接的に言われることは無くなったけど、ある程度対話を重ねていくと言われることは「真面目であるのは分かるのですが、なんか近寄りづらいなと思っていました」ということだった。
それは嫌な気持ちからでは無いことがほとんどらしいのだけど、明確にこれ!という理由がないのだから、理解のしようがなかった。深く関わるにつれて、砕けた自分も出せるようになって「違った一面が見れた」と言ってくれる。
この「近寄りがたさ」はどうして起こるのだろうか?
真面目さ故のことであると自己分析する。
・やるならちゃんとやりたいと思うあまりに、ちゃんとしてない自分を封印する→ちゃんとした部分だけが相手に伝わる
・自分の言ったことで相手を傷つけたくないし、それで自分が傷つきたくない。だから自分から話しかけることはしない。→距離感が生まれる?
・何事にも心を込めて本気でやらないと、そうやって生きている人たちに失礼であると思うし、中途半端な自分が嫌だ。→頑固な印象になる?
・抜かりなく、ソツなくこなす。細かい違いや違和感を察知するから。
→結果的に評価はされやすいけど、自分を偽っているようでしんどい
・偽るのが嫌な割には、抜けている自分を見せたくなくて偽る自分がいる
→どっちつかずの自分がさらに嫌になって、そんな一面を見せないように
さらに力が入って、表情も雰囲気も硬くなっていった
ここまで自分を抉って書いていくと、分かることがある。
そこまで自分を縛らんくても良くない?
ということ。
これは真面目だからだけではなく、ただ単に自分でそうさせていただけだった。
だから、抜けているところ・失敗したこと・中途半端で終わったこと・白黒つかないことを表現してみようと思った。それが2019年から始めた毎朝のライブ配信だった。
「こんなこと言ったら、絶対人が離れていくなぁ、みっともないよなぁ」と
墓場まで持っていこうとしてエピソードを話し始めた。
例えば、マッチングアプリで恋活していた時のこと。
女性とデートをするには、駅から5分以内で、価格帯が3000円以上で、静かで雰囲気が良くて、服装はこうで、話し方はあーで・・・
と割と真面目に思っていて。毎回のように連絡が途絶える・・・(結局そんな自分ではうまくいくはずもないよな〜と今では笑い話)
その後に、今の妻との出会いで変わった話の前座で、上記の話をしたときに、なんと1500回再生もされた!
「すごく笑えるけど、ほっこりしたよ」「ウケるわ〜でもそんな宇賀ちゃん(僕の愛称)が可愛らしいね。」と、誰も否定してこなかった。
むしろ「その経験があったから今の奥さんに出会えたんだよね!?大切な視点だよ。同じような経験をしている人絶対いるよ!色んな人に伝えたい!」とまで言ってくれて。すごく嬉しかった。
自己開示の練習をする過程の中で、自分の中の「真面目さ」をそのままに表現していいんだと思った。自分で卑下する必要がない。真面目だからと言い訳にしなくていい。そう気づいてからは、自分の真面目さを肯定できるようになったとさ。
真面目さと象徴とすることを否定していた僕。
真面目さでない部分をさらけ出してみたら、
真面目な自分を肯定できた、という話。
これからも、僕の真面目さはそのままに。
でも力の抜けた僕も、こうして表現していこうと思う。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
宇賀神
■宇賀神の初めてのKindle本では、上記の変化が起こった色んな視点を描いています。具体的なワークもたくさんなのでご興味のある方はぜひ。
■個人セッションもやっています。僕が8年かけて体系化し、クリニックで1500件以上行ってきた「HSP神経〆セラピー」セッションをオンラインで受けられます。
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