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コーヒーと家族

「小さいころから

ちゃんとしたものを食べさせてもらってたんだねぇ」

それは、70歳と聞いてだいぶびっくりさせられた

喫茶店の女性マスターに言われた言葉でした。


それは確か二十歳の時のことだったと思います。

今時なオシャレな店舗が連なった場所にある細い階段を上ると、

「まを(黒猫のイラスト)」と看板が立てられており、

注意深く見ていないと、気づかないような場所に

その喫茶店はありました。

地元の出版関係の友人から

「雰囲気もいいしおいしいお店だから行ってみなよ」

と、コーヒーがやっと砂糖なしで飲めるようになった

僕に言うので、大人の階段を上るような気持ちで

そこに向かいました。

人1人がギリギリ入れる小さな扉。

テーブルも椅子もつやつやとテカった木製のもの。

カウンター奥には、ディスプレイされた

コーヒーカップとソーサーが壁中に並べられていました。

昔ながらで、綺麗で、当たり前ですがコーヒーのいい香りが

お店全体を包んでいて、入った瞬間に自分が

「好きになっている」というのがわかりました。

明るい表情で女性マスター(まをさん)が

「どんなのがお好み?」

と尋ねてくれました。

僕は、最近覚えた言葉の一つをぶつけてみます。

「酸味のあるコーヒーが飲みたいです」

「ほうほう、じゃあね、昨日入ったばかりの

キューバの豆を使ったものにしようかな」

にこにこしながら話すその様子は、

とても楽しそうに、嬉しそうに見えました。

がりがりと豆を挽き、

ぽくぽくとお湯を沸かす様子を

カウンター越しに見ている僕に、

「若いのに珍しいね」

と、声をかけてくれます。

かっこをつけてコーヒーを飲みたくて、

などと、本当のことは恥ずかしくてとても

言えませんので、当たり障りなく

興味があって、とか、友人の勧めで、

とか答えていました。

「はい、じゃあ大変お待たせしました。

キューバのホットコーヒーです」

こんな若造にそんな丁寧にしなくてもいいのになぁと

心の中でつぶやきながらお礼を言い、

一口啜りました。

苦味、というのがコーヒーの大部分を占める

ほぼ全てだと思っていた僕にとって、

それはまさに衝撃的な味でした。

舌を刺激するのは淹れたてである証拠のような

熱さだけで、あとは鼻に直接流れてくるような

爽やかなコーヒーの香りだけでした。

「あ、おいしい」

漏れるような僕のその言葉に、さっきまでの

にこにことした表情ではなく、

しっとりと僕を見通すように

「小さいころから、ちゃんとしたものを

食べさせてもらってきたんだねぇ」

と、言うのでした。

「関係あるんですか?」

と、思ったことをそのまま返す若造の僕。

「ありますよ。

ジャンクだとか、お菓子のようなものをたくさん

食べてきた子たちは、舌がそういう風に発達するもんだから、

こういうものはおいしいと思えなくなるんです」

言葉だと信じられないかもしれないと思いますが、

その時僕は、感動してしまいました。

お菓子を食べることは悪で、カップ麺を食べると

同じように大いに叱られてきた僕は、

自分を勝手に不幸ものだと思っていました。

周りの友人とは話が合わせられず、悩んでいた日々を

今でも覚えています。

しかし、それは祖母が作ってくれたご飯を残さず

食べることが目的であり、ただ叱りたいだけでは

なかったのだと思います。

そんなことを脳内でただ考えていた僕に、

「家の人に感謝だねぇ」

と、まをさんは話すのでした。


それから、週に何度かは「まを」でコーヒーを飲みに

来るようになり、それにつれ家族に感謝するようになりました。


ある時は嫌なことも、

そのあとにくる

幸せのスパイスになることを

知れたからです。




#あの会話をきっかけに

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