勉強がきらいだった
自分は、人並みにテストの点を取るための勉強はしてきた人間だと思っているのだけど、
思い返すと学生の頃は、怒られるのが嫌とか、周りの大人にとって良い子な自分でいる必要があるという思い込みから追い立てられるようにやっていたので、本当に楽しくなかった。
成長期でいつもお腹が空いていて眠くて、教科書に並んでいる文字は睡眠薬でしかなく、テスト期間になって必死に問題集の答えを覚えるようなやり方ばかりしていた。
問題が解けて嬉しい、面白いという気持ちは最初の最初こそあったものの、学ぶことの愉しさ、というものを感じることができなくて、窮屈な義務でしかなかったなぁと思う。
勉強が嫌ならサボって好きなことをやるような主体性も、周りの目を気にしない勇気もない自分が情けなく、同時に私に絶え間なく義務を押し付けてくる環境が、とても恨めしかった。
それが大人になって、自分のペースで生きられるようになって、前より自由に生きられるようになって
知らないことを知るのって、面白いなって、学びたいな〜って、やっとやっと思うようになった
自分にも好奇心というものがあるんだなって、嬉しい。
そして、何を学ぼうと思っても、うす〜く記憶が残ってることって、すごくありがたいことだと気づいた。まっさらからやるのと、なんとなく知ってる状態からやるのでは、ハードルの高さが全然違う。
そういう意味では、詰め込み教育を盲目的に受けさせられる経験も、悪くないのかも。
目下興味があるのは、世界史である。
趣味でやるので、資料集見たりYouTubeみたり、本を読んだり映画を見たり、思いっきし寄り道しながらゆっくり、学ぶつもり。
エジプト新王国のネフェルティティ像を資料集で見てふと、昔「ネフェルティティの微笑」という小説を読んで面白かったなあと思って、さっそくメルカリで買って読み始めた。(つまりまだ古代史、笑)
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