注文の多い料理店 #宮沢賢治noteその4

  小学校のこくごの教科書にも載っている注文の多い料理店。改めて読み直してみると、とても面白い。宮沢賢治さんは幻想的な作品も多いのですが、これは童話ながら読みの強度があります。

 イギリス紳士の装いの2人。なんか滑稽です。白熊のような犬もどこかユーモラス。そしていきなり泡を吐いて死ぬ・・・。死んだことを確認して金勘定をして悔しがる。さらに気分が悪くなる紳士。何もかも中途半端な感じ。でも変える道が分からない。この2人、僕らが思っている以上にいい加減で適当なようです。緊張かどうかは知らないけど、横っ腹が痛くなるんだから。

 そこで見つけた西洋料理店。実はここでまんまと罠にはまっているんですね。

 「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」

 この文章だけで、勘定はいらないと判断する浅はかさ。

 それから徐々に増えていく「注文」と、いぶかしがりながらも自分たちを納得させようとする2人。ユーモラスにドツボにハマっていく様子は、面白おかしくあります。

 やっと気づいたときには既に遅し。2人は料理の下準備をおのずから勝手に済ませてしまいます。手下の二人のセリフ、菜っ葉、サラド、フライ。絶体絶命の時、死んだはずの2匹の白熊のような犬が助けに来ます。

 何とか助かった2人でしたが、紙くずのようになった顔が元通りになりませんでした。

 うん。なんでしょうねこの感じは。寓意が込められている。金勘定でしか考えていなかった犬に救われたり(お金の価値と生命)、自分自身の面倒くささを正当化するために勝手に納得したり(昇華)。誰も悪くない物語なんだけど、結果を見ると2人は自業自得なのか?いや、違いますね。自業自得ではない。悪いことをしていたわけではないんだから。でも、西洋の真似ばっかりして、自分がないっていう2人は当時の世相を表しているのでしょうかね。

 「注文の多い料理店」という逆説的な発想は、宮沢賢治さんの天才的な感覚だと思います。「注文の多い」という意味。多いのはむしろ客側の方が本来。店が用意するのは「注文(品)の多い」ということ。しかし、その矛盾に気付いた時にはもう遅いですよって。

 童話として消化されるにはあまりある作品です(決して童話が幼いというわけではなく)。もう一度読んでみると、色々な意味を含んでいる。とりあえず、死んだと書かれている犬が生き返ったわけを知りたい。彼らのおかげで助かったんですからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?