拝啓、少年よ
拝啓、10代の少年、少女たちへ。
8月31日。もう夏休みは終わりで明日から学校です。行きたくない気持ちになるでしょう。僕もそうでした。永遠に続けばいいと思う夏休み。終わらないでほしい夏。君らにとって夏は特別なはず。冬は寒くて短いし、春は別れと出会いでいっぱいになるから考える間もなく休みが終わる。その点、夏は違う。1ヶ月の間、普段とは違う生活が続くんだから。人間は1ヶ月も違う生活をすれば慣れてくる。それが楽であればあるほど、楽しければ楽しいほど、自由なほど、終わらないでほしいなって思うんだ。楽しいことはいつまでも続けばいい。(終わらなければ)勉強はしなくてもいいし、遅くまで起きていてもいい。なんなら朝までゲームしても友達と電話してもいい。ああ、明日からはまた学校で早起きして、勉強しないといけないなもうめんどくさいや。
終わらない夏とはエンドレスサマー。
サマーヌード、楽園ベイベー、上海ハニー、なつのうたはいつまでも流れていて欲しい。でも、いつの間にか時間は過ぎて夏夜のマジックになって、夏の思い出になって、若者のすべてになる。
これはもう12年以上も前から今まで僕が聴いてきた夏の唄たちです。夏の頭の中はどこかぐるぐるしてウキウキしていました。中学高校の頃は毎日部活して汗かきまくって、時々友達と集まってバカやってました。8月31日は従兄の誕生日で、毎年明日学校に行きたくないなーって思ってました。
でもね、でもです。終わってほしくない一方で、誰かに早く会いたいっていう気持ちもあるんです。不思議なもので、1ヶ月経って会った友達が少し大人になっていた、好きな子が日に焼けて楽しそうだった。そんなことを考えるだけで、胸が痛い。決して悪い意味ではないです。ただ「痛い」っていう風にしか言えないけど、でも締め付けられるような気持ち。
夏の終わりは誰にとっても、10代の君らにも、もちろん大人になった僕らにもだけど切ないもの。何も変わらない夏は無い。そんな日々を経てまた少し違う誰かになって日常が戻ってくる。夏が無かったら?つまらないだろう。そしてエンドレスサマーはもっとつまらないんじゃないかな。
新学期、久しぶりに誰かに教室で会うとなんか照れくさい。「久しぶり」なんか大袈裟に言って、その子が変わったことに驚いた気持ちを隠してた。背が伸びてて、日に焼けてる。斜に構えたり、すかしたり、ませてたり。カッコよくなって可愛くなってる友達を見て、勝手に一人で焦った。
「自分は何にも変わってないのかな」
かつて10代だった僕は、始業式の後のHRでそんなことを考えてた。置いてけぼりにされたようで、僕を置いてくなよみんなって。何にも変わってないような気がしている自分と変わっていく周囲。ああ、もっとこんなことすればよかったじゃん夏なんて。
でも今は分かるような気がするよ。先生になったからかもしれないけど、見ていればわかる、みんなきっと同じことを考えていたんだと思うし、僕が他の人を見ていたように他の人たちも僕を含む皆の事を見ていたんだろう。だからいいんだ夏は。勝手に気付かないままにおもむろに自然に僕らは成長して大人になってく。それを感じられるのは夏しかない。大人になっても少しだけ感じるけど、あの時みたいに痛烈に響くことはもう無い。それが寂しいな。誰にも悟られないように振る舞うことも、他人を羨ましいと思うことも、夏が終わらないと分からないから。
夢見る日常。ビューティフルドリーマーな日々はラムちゃんみたいに続かない。当たり前だけど、体験する機会はそうそうにない。そんな夏休み。永遠に終わらない楽しい日々は日常じゃあない。だけどもいつもと同じだと気付かない何か、それは成長だったり変化だったり個性だったり1人だったり2人だったり他人だったり自分だったりする。
夢から醒めた夢。いつまでも夢を見ていたいんだ。夢は現実じゃないけど、少しずつでも近づいてくものだろう?そんな日々を、時々でいいから実感するために10代の夏はあるんだと思う。
夢はもう見ないのかい?
明日が怖いのかい?
諦めはついたかい?
馬鹿みたいに空が綺麗だぜ
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