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地球儀を回すように

 この前は、とりあえず映画を観た後に思ったことを書いた。少し時間が経った後に、また考えるようになった。本当に根も葉もない面白くない映画ならこうはならないし、忘れ去られてしまうだろう。そこに、ジブリが創り上げてきた、宮崎駿さんの力があるんだと思う。

 分かりにくいとされる物語(ストーリー)の構造について。大枠はシンプルで、亡き母を忘れられない少年と新たな母(母の妹)、そして腹違いで生まれる兄弟、分かってくれない父。つまりは個人を取り巻く家、家族の諸問題を昇華して解決に向かい、少年が成長する話。ここに異世界奇譚が盛り込まれている、現実→非現実→現実の構造である。

そして、昭和の戦時期と言う時代設定だが、これが多少の違和感を生じさせる原因である。風立ちぬも同時代を舞台にしており、日常的なタバコの扱いや病気に対する意識が現代とは異なる。

当時は家を守ることが重要であり、亡くなった後に姉妹が後妻に入ることは少なくなかったらしい。妻が死んだ後にその妹と結婚して喜ぶ父親の様子は、今ならば受け入れられないものかもしれないが、特におかしなものではない。

逆に言うと、それを受け入れられない眞人の方が実は時代にそぐわない人物だったりする。あれだけ礼儀正しくて良い育ちの眞人は、当時の常識として母の妹が母になることを理解できるはず。なのに彼は苦悩する。

内面が描かれなかった当時の人物の内面を敢えて描こうとしている可能性もあるが、僕には、眞人は現代人のように見えた。芥川龍之介の羅生門で、下人はサンチマンタリスムを覚え、善悪に葛藤する。これは当時には想定されていなかった感情であって、原典である今昔物語集の羅城門では、下人は老婆の論理にただ従うのみで、説話という教訓が語られている。その点では、眞人は下人と同じく、過去を生きる現代人だと感じた。

賛否が分かれる抽象性について、結局のところ、現実から異世界に行くという点では、千と千尋の神隠しと変わらない。その境界は明確だと思う。問題とされているのは、現実世界との繋がりが希薄ではないか?という疑問だ。現実と異世界の狭間は、とても日本的なものである。伝統的に言い伝えによって誰もが恐れる場所は、日本中のどこにでもあった。山であり海であり古い建物であり、それな古ぼけた館であることに違和感はない。しかし、その世界の中に生活の秩序があるように見えない。祀られる神の正体は?鍛冶屋はどこへ消えた?なぜ殺生できない人がいるのか?キリコさんはなぜそこにいる?つまり、死者と生者が時間軸を超えて同一に存在できる?これらの矛盾には整合性がつかないし、説明もされない。

 そこでの出来事はある時に唐突に始まり、目まぐるしく動いていく。千と千尋では神様の世界がはっきりと存在し、社会と秩序があった。しかし、君たちはどう生きるかでは、全体像が見えない。あの場で起きたことの真実や、少年が向き合ったことはいったい何だったのか。それが最後に崩壊してもわからない。だから賛否両論あるんでしょう。

 オウム、叔父さん、ペリカン、ワラワラ。唐突に表れては説明されることもなく当たり前に進んでいく物語。いつの間にか消えてしまう。彼らはどこに向かい、どう生きているのか。別世界は最後に崩壊を辿る。彼らはどうなるのか。現実に戻ってきた。しかし、生者になるはずのワラワラが生まれる場所は消えた。

若き日のキリコさんが言う通りならば、現世は何も生み出さないようになってしまう。でも恐らく世界は続いていく。その証拠に数年後、時は流れて眞人は家を去る。

だから、結局は宮崎駿さんのイメージを出来るだけ多く詰め込んだ世界だと考えると見やすくなった。人の頭の中は実はこのようなものである。「パプリカ」の暴走シーンや、「不思議の国のアリス」的な世界だと思えば良い。

作ったのは大伯父。その世界に迷い込んだ眞人が見た整合性のない世界。しかし、眞人に迷いはない。決まっていたかのように、やるべきことをやる。これが、彼の生き方だと解釈した。自分の生き方を取り戻し、現世を選ぶ。それを望んだから。

エンディングがあっさりと終わってしまったような気がしていたけど、家族を受け入れてあの家を去ることが眞人にとってのゴールだったんだと思う。

主題歌の「地球儀」に次のような歌詞がある。

この道が続くのは 続けと願ったから

君たちはどう生きるか?何に悩み、何を選ぶか。全ては続けと自分で願うことで続いていく。

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