最近変わったこと(多分コロナのせい)

 最近なんか考え方が変わった。これはコロナのせいで変わった生活に伴って変わったものだと思われます。

これまでの僕は、一番に優先するのは自分の事だと考えていました。決して他人を尊重しないというわけではなく、もちろん仕事では職場のみんなと協力して生徒のために。プライベートでも、友達や家族にはとても感謝していて、自分が1人ではないことも理解していますので、その人たちのために自分ができることをやろうとも思っています。

ここで言う自分を優先するとは、生き方について。主に恋人とか彼女の話になります。

 大学2年から4年半付き合った彼女と別れてから、結局のところ、自分は誰かに合わせたり、我慢をしたりすることが無理なんだなということを念頭に置いていました。その彼女は今では2人の子供がいて、幸せに暮らしています。そんな彼女に言われた言葉を覚えています。

「あなたの事は好きだけど、結婚は出来ない。あなたは結局自分の事を優先する人だから。」

 全くその通りで、僕は相手に対して寄り添う振りをして相手の事なんか考えていなかった。そして、言われて初めて彼女に支えられている自分に気づいた。でも時すでに遅し。で、何ともならないままに終わった。24歳の頃の自分。そうして、誰かと付き合ったりするのはめんどくさいなあと思うようになった。それからは同じことをまた繰り返していますが、根本は変わりません。

自分を持っている人がいい。趣味もたくさんあって、お互いにそこまで相手のことを気にせず、自由に生活をする中で重なるものがあればいい。これが理想なんだって思っていました。

 話すのは得意。多分趣味も多いし、知りたい事も多いから大概の人に話を合わせることは出来る。沢山の人と新しく知り合いになるのは楽しいことなので、友達はたくさんいます。たくさんの友だちに囲まれて、日々は幸せ。

 そうやって、誰かと飲んで遊んで、楽しく過ごしていたのが2~3月まで。日常は変わって、誰かと関わる時間が極端に減った。一人で過ごすことが増えた。さあ、どうしようって考えたときに、一人で過ごすことの心地よさと同時に誰かと関わることの大事さに気付いた気がするんですよね。

 結婚するなら、自由な人がいい。誰にも縛られてない人が。依存すると良くないよ、拘泥なんていらないよ。と思ってきたことは、実は思い込もうとしていたこと。誰かと関わるって事は、自分に都合のいいことばっかりじゃなくて、でも理屈なしに誰かを思う時もある。家族とは年に一回しか会えないけど、家族を持つ人たちに触れあって感じたこと。

 誰かとか決まっているわけでもないけど、そんな誰かと過ごすのは、僕が思っていたようは窮屈なものではなくて、良いことなんじゃないかなって。人との付き合い方はまさしく人それぞれです。自分の好きにやっていいじゃない。誰にも止めることはできないんだし。でも、誰かと一緒に過ごすことは自分一人では絶対にできないこと。だからこそ、我慢も喜びも悲しみも一緒に感じることが出来るのかもしれない。一人は楽しい。それは確か。誰にも邪魔されない。でも、それだけじゃつまらないなって思う一面もある。いや、その事に気付いたんだな。

諦めてカッコつけていたら7年も過ぎていましたが、いつの日か誰かと一緒に過ごせたらいいな。

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