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「明け方」の若者たち

 アマゾン・プライムで1年前くらいに観て、最近また観なおした「明け方の若者たち」。「ちょっと思い出しただけ」が好きで、年代を反映した恋愛ものの映画を観たい時期があって、偶然見つけた。

 観たその時はまあおもしろかったな、くらいだった。なんか全然違うんだけどロードムービーみたいな印象を受けたのは覚えている。場面の切り替えや、進み方とか。

 そしてこの前観たくなって、観てみて、なんか印象が変わった。きっかけは石田衣良さんの池袋ウエストゲートパークを読み直したこと。時代を反映していく中で変わっていくものがあり、その中で変わらないものもある。マコトやタカシ、サルは変わらない。じゃあ、生まれた時代によって何か考え方に違いはあるのだろうか。

 そう思ったとき、この映画が頭に浮かんだ。そして観た後にその理由も分かった。ゼロ年代に青春時代を過ごしてきた僕は2010年代、つまり、イチゼロ年代をそこまで感じきれていなかった。もちろん若者ではあったんだけど、思いっきりカルチャーに触れたりした大学生から社会人になって忙しく過ごしていた。社会に組み込まれてからはそこまで青春を感じることはない。だからどこかに違和感を感じたんだと思う。

 映画を観た後に小説も買って読んだ。何か確信した。これが、イチゼロ年代の過ごし方だったんだって。オムニバス小説のような回想。ポップカルチャーを消費しつつ、仕事に依存せず、無関心を装いながらも抜け出せない毎日を送る。作中に出てくる音楽、ヴィレッジバンガード、下北沢、高円寺、明大前はその代表だった。

 消費することは消費するものと消費する自分を同化して、自身の価値を求めようとすることだと思っている。サブカルって言われるものに惹かれていた自分だから分かる。流行りの音楽ではなく、少し尖ったものがかっこいいし、そういう人たちが集まるところに行きたがる。心地が良いっていうのは、自分自身の心地がいい。でも、王道には行けない。行っても上がいるから。そんな日々を助けてくれるのは、そういう街であり、音楽であった。特別なんてことはないけど、特別にしたい自分の気持ちを叶えようとする。

 彼も彼女もそうだと思った。やっちゃいけないことだと倫理的に分かっているけど、最初は軽い気持ちでそれでもいいやって。そうやって気付いたら「沼」って自分たちで名付けて苦しむ。スピッツの「名前をつけてやる」も真っ青になるくらいに、ストレートに身勝手に自分から悪い方を選んでしまうのはなぜ。でも、それがイチゼロ年代の在り方なんだと思うと妙に納得してしまった。

 そして文字通り「明け方」を迎えて社会に放り込まれた若者たちが過去を振り返り、大人になって今を生きる。時々その歌を聴いて思い出したり、昔行った居酒屋に行ってみたりする。濱田マリさんの演技が素敵だった。


https://www.youtube.com/playlist?list=PLsctVK17vVGlymiYj_9t4NL1zHWtX0fft

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