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ミドリ

「嫌いです ああ」

 って、ずっと思ってた高校時代。自分の事が嫌いだった。本当の自分は、もっと違う人間で、なにか大きなことができるんじゃないかと思い込んでいた。周りの人たちが騒いでるのがくだらなく見えて、でもハズレモノは嫌いだから、何となく合わせながら優等生を演じる。どこのクラスにも1人はいる。そんな平凡なやつ。

 何が嫌いかっていうと、周りだけじゃなくて自分のこと。「やりたいことやればいいじゃん」って頭の中ではわかってるんだけど、言ったら自分が変な奴って思われるのが嫌だった。だから、自分の好きなことも思ってることも言えなかった。言わなければ勝手に学校生活は過ぎていくし、軋轢は起こらない。だらだらと過ぎていく日常に、どこか疑問を覚えながらも、その温い毛布に包まった感じから抜け出すのも嫌だった。そんな自分のことが嫌い。

 クラスの片隅には女の子が居た。名前はミドリさん。苗字は覚えていない。みんなが彼女のことを「ミドリさん」と呼ぶ。彼女は僕らクラスメイトとあまり話さない。もちろん、聞いたことにはちゃんと答えてくれるんだけど、特に自分の事についてはほとんど喋らないし、授業中は基本的に黙って窓の外を見ている。でも、勉強が出来ないわけではなくて、先生に指名されてたときには、いつも小さな声で正解を答える姿が印象的だった。

 彼女が自然体だったとは僕は思わない。どこか窮屈そうで、苦しそうで、だからこそ覚えているんだろう。遅刻ギリギリに来て、先生に少し注意されて、聞こえるか聞こえないかの声で「…気を付けます」っていう。2週間に1回くらい起こるこの一連の流れは、僕らのクラスにとっては学校生活の変わらない日常の一部。そんな当たり前を繰り返すミドリさん。絶妙なバランスが保たれていた。学校っていう大きな枠の中に居て、

 「崩れてゆくことが悔しくて、今誰にも言えない」「幸せな方が私にはふさわしいと思いたい」

 と、自分で思いたい自分と、現実とのギャップを感じていた。偶然聞いたポルカドットスティングレイの歌詞と、偶然出会ったミドリちゃん。外の人たちは、望んで彼女の世界に立ち入らない。勝手に想像するしかない中で、僕が勝手に想像して重ね合わせたイメージは、唄われる女の子そのままだった。

 ある日の放課後。たまたま部活の荷物を取りに来た教室には、ミドリさんが1人で自分の席に座っていた。例のごとく、窓の外を眺めながら。適当な挨拶した後の、気まずい沈黙。

 お茶を濁す程度に、聞いてみた。

 「ミドリさんさあ、いつも窓の外見てるけど、何考えてるの。」

 「うん?多分何も考えてないよ。何か考えてるとしても、それを知ってどうする?」

 返答に、僕は何も言い出せずに頭をかいた。だって、ミドリさんの言ってることはごもっともで、そもそもあまり関わりなんてない僕からいきなりそんなこと聞かれても、彼女に答える義務なんてないから。

 「何を考えてると思う?」

 いきなり聞き返されて、困った。でも最初に聞いたのは僕だ。僕には答える義務がある。

 「なんか、上手く言えないけど、ミドリさんが毎日嫌だなって思ってること?」

 「嫌だなって思ってることね。そうね。そんな感じかも。」

 思いがけない同意に、僕の興味はそそられていく。

 「でもさ、何が嫌なの?」

 「何もかも。周りの人たちも、自分の性格も、みんな嫌いかな。」

 何が?、ってもっと聞くことが出来なかった。それは、自分自身が隠していることと同じだったから。そもそも、自分を好きな人なんてほとんどいないと思う。どこかで本音を隠して過ごしている。隠すことで、変わらない日常を過ごしているんだ。でも、そんな自分に嫌気がさしている。

 「君も、本当はみんなきらいでしょ?」

 そうだよ。って言えれば、どんなに楽だったか。でも言えなかった。自分が築き上げてきたバリケートを崩したくなかった。

 まさしく図星だった指摘で、何も言えずにいた僕に君は真っすぐ視線を向けかけた。

 「でも、私はそういう君が羨ましかったりするんだよ。」

 そういって、寂しく笑う君がいて、僕はいよいよ言葉に詰まった。それは、ミドリさんに対してと同時に、自分に対して。言いたいことを言えずに自分を取り繕って過ごす毎日。窓の外を見ていたけど、そのことに気付かれていたんだ。

 「本当は僕だって。」

 そう言いかけて止めた。だって僕には君のように振る舞って生きることが出来なかったから。とりあえず、毎日を滞りなく過ごすことが僕にとってに日常。ミドリさんとは反対。ミドリさんみたいに生きれたらな、って思っても、そうする勇気もないんだ。

 「いいんじゃない。自分が分かってれば。」

 そう言って、また窓の外を眺め出したミドリさん。勝手に話して、勝手に救われた。「じゃあね」といって、僕は忘れ物を持ってダッシュで部活に向かった。

 ミドリさんは卒業まで、ミドリさんのままだった。変わらない日常。卒業式の日、最後のHRも終わって皆で打ち上げに行こうって話になったけど、君はさっさと荷物をまとめて、教室を出ていった。それが最後まで僕らにとっての日常。これからまた会うことなんかないのかもしれない。「トイレにいく」って嘘ついて、昇降口に走った。

 ミドリさんはもうローファーを履いて、正門に向けて歩いていく。

 「あのさあ」

 彼女はちょっとびっくりしたように振り向いた。

 「よくわからないかもしれないけど、僕は君みたいになりたかったんだよ」

 頭の整理も何もできていなくて、でも、最後に伝えたかった。後の言葉は出てこない。

 ちょっと間が空いて、君はこういった。

 「自分がね、わかってればいいんだよ。私も同じだよ」

 「じゃあね」

 時間が止まったような僕を置いて、君はいつものようにすたすたと歩いていった。しばらくそこにいて、僕は教室に戻った。

 自分の事が嫌いでもいい。相手に合わせてもいい。「自分でわかってれば」。そういってくれた女の子。ミドリさんは、どこか遠くの大学に行ったらしい。同窓会にはもちろん来ない。僕は相変わらず、みんなに合わせて過ごしている。そんなとき、ミドリさんを不意に思い出す。彼女も相変わらず、ミドリさんのままで、自分を隠しながら心の中では誰かを羨ましく思ってるんだろうか。そんな僕もミドリさんも、いつか自分を認めることも出来るんだろうか。わからないままに、僕はまた日常に戻る。

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