「学ぶ」

 講習会に参加して、二日間様々な学びを得ました。自分のこれまでの指導について客観的に見直し、良かった点と改善点を学ぶことが出来ました。今後自身のチームに還元していこうと思います。技術もメンタルもまだまだ学ぶことがたくさんある。普段の生活の中では意識しない、気付けないことを知る経験はとても貴重です。

 本当に多くのことを学びました。忘れないうちに整理・インプット・アウトプット(実践)と進めていくつもりですが、これは指導に関係なくめっちゃ大切だなと思わされたことがあります。

 それは、何かを「学ぶ」ことについて。二つの言葉がとても印象に残っています。

「学ぶことをやめたら教えることをやめなければならない」

 私の仕事は「教える」ことで成り立っています。他業種の人が物を作り、サービスを提供している。私は誰かに何かを教えることを対価として生活をしている。しかし、ある程度の形が出来てくると慣れや怠惰によって同じことを繰り返す作業のようになる危険性を含み持っています。そして、実はそこまで意識してやらずとも回っていくものでもある。決して良いことではないことは分かっています。ただ、職業柄なのか組織というものの性質なのか、何がそうさせているのかは分かりませんが一度できた形に乗ってしまえば意外と進んでいく。私にもそういう側面がありました。

 今回この言葉を知って自分自身を振り返りました。働き出した11年前は何も分からない状態でとにかく学ぶ毎日だった。必然と言えば必然。そうやって少しずつ慣れていったけど今はどうだろうか。慣れに甘えていないか。これくらいでいいかと思っていないか。ずっと学び続けること。知らないことを知った。そしてまだまだ知らないことがある。

 でも大人になると、世間のことが分かってくる一方で別の事象が生まれる。

 「子供の学びは喜び、大人の学びは痛み」

 何も知らない状態で新しいことを知ることは「喜び」。それは経験の少ない子供たちにとって何事にも代えがたいから吸収する。大人になると、ある程度自分の世界が出来上がってくる。関わる人も決まってくるし、学ばなくても生活が出来る。新しいことを学ぶ時、私たちは知らない自分をさらけ出したり失敗する。大人にとっては嫌なこと。でも子供は日々そうやっているのに教える大人はそれをしないことは大きな矛盾。

 全部を知っていないといけない、偉く見える(威厳がある)ようにしないといけない。でもそんなことないんですね。大人だって不完全で、知らないことばっかり。だから、「痛み」を自ら感じられるくらいに学んでいきたい。恥って感じているのは実は本人だけで、他の人はそんなに気にしていないんです。それに気付けたことが大きな進歩。

 また新しい心持で頑張れそうです。

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