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【アニメ考察】ヴァイオレット・エヴァーガーデンにある偽りのフェミニズム表現 part2

先月私の拙い日本語で書いたツイートを読んでくださり、真面目に返答してくださった方がいたと先週気づきました。とても感謝しています。その返答によって解決した質問はありますが、どうしても納得いかないのもいくつ残っています。

それらについて今回の記事にまとめました。使える語彙はまだまだ乏しいので、表現しきっていない、分かりづらい、思ったこととニュアンスの違う言葉を選んでしまったことに気づいていない、などなども文章の中にあるかもしれません。未来の私に任せて徐々に補完していくつもりです。

母国語でもうまく言葉に表せないモヤモヤした考えがたくさんあります。それはきっと私の理論知識が足りないからでしょう。そのモヤモヤをいつか言葉に整えられるために、上野千鶴子さんの本を買って読もうと思っています。

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なんでも「普遍的存在じゃない」「こういう設定だから」で一概にしたいなら私は何も言えません。疑問を持ったほうが間違ってる、思考するのを止めるべき、返しの言葉も出させない、どこでも通じるチート論点のような言い訳ですから。

ヴァイオレットは「使えるから武器として少佐に与えた」の実力のある人だから戦争に参加することが許されたのなら、実力のある女性もきっと大勢いるのになぜ天文本部で仕事することが許されていないのが作者に対する質問です。

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この作品と近年の20世紀初期の世界を描いた他の作品との大きな違いは、ヴァイオレットの世界の人々は女性が差別されている事実に気づいていない/無視/受け入れている/当たり前だと思っていることです。

私が言いたいのは、差別的発言をセリフに出てはいけないのではなく、その差別の事実に気づかない/言及しないことが非現実とのことです。実際にあの時代の人々はその差別に気付いたからこそ、改善しようとしたのですから。

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最初このアニメを見ていた時に原作は何の諷刺小説だと思っていました。前回の考察で私の一番目のツイート↑にもそう書いてありました。

しかしそれは間違っていました。理由は先にも言った通り:ヴァイオレットの世界の人々は女性が差別されている事実に無自覚です。つまりキャラクターたちは覚醒していないです。

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制作が女性陣だから必ずしもフェミニスト目線で作品を作る保証はどこにもありません。女性に女卑観念を真っ先に植え付けてくるのは同じ女性であるその母親です。

彼女たちが女性である前に、モノを作って金に換える人間です。自分のコンテンツをいかに売り出してヒットさせるのが大前提です。

女性が書いた、女性読者がターゲットの、ヒロインは自分が物にされているのを自覚しながら、それでも相手のために自分を犠牲し続け、少し甘やかしてくれたらなんでも許してしまう、のようなノベルは中国で安定したユーザー層に人気を得ています。

似たようなストーリー構成の女性作家による女性向けノベルやマンガは日本においても何十年前から数多く出版されています。

結婚して彼と同じ名字になれるわ」という同じ苗字になることをロマンティックで素敵だと感じ、甘い気持ちになって憧れている、こういう話を初めて聞いた時私は驚きました。世の中にこういう愛情の受け取り方があるよなと。

結婚後に名字の変更を強要する法律は中国にありませんから、以前から日本の改姓文化を知っていても、そこに深い意味があることに気づいていなかったです。

名字は所有者を表すものです。彼と同じ名字になることへの憧れは「所有される幸せ/物にされる幸せ」への憧れです。

自分が物にされることに興奮し、その受け身の立場の妄想で満たされ、脳内オーガズムに至る、というのはこのような作品の楽しみ方です。

また、女性が社会進出できたのは時間を経てばそのうちなるようになるものではありません。神の賜物ではありません。家父長制社会が下したご褒美ではありません。

自然になるものならとっくに進出していた/最初から普通に職に就くはずです。社会進出ができたのはあの時代の彼女たちが今の時代の女性たちと同じように考えていて行動を起こして努力した結果です。

女性の社会進出の歴史を反映したかったのなら、キャラの覚醒を描写しなければ成り立たないです。例えば「天文本部で就職するためにどうすればいい」「プリンセスはまだ10歳なのに婚約するには早すぎじゃない」みたいな愚痴をこぼしたほうがよほど現実味があります。

しかしこの作品には覚醒について一切触れようとしなかったです。作中の人物は誰一人もその歪な社会構造について問題意識を持っていない、正真正銘のドールです。明らかに差別されていることをどのキャラも気づいていないのは制作側が故意にしたのに違いません。なぜなら覚醒した女性キャラはおかずにしづらい嫌悪感を招きかねない売れない金にならないからです。

映画の来場者特典の読み切りノベルのほうがアニメより何十倍もメアリー・スー臭プンプンしていて気持ち悪かったです。例えば「永遠と自動手記人形」の特典読み切りの内容は(私は読み終わった後に中古アプリで売りましたので記憶が曖昧なところがあります)、プリンセス(女王?)は結婚後ある日お茶会で周りから「役立たない」「2年も経ったのにまだ妊娠していない」などの揶揄につい堪えられなくなって外に逃げようとしたところ、プリンス(国王?)がプリンセスを探し出し、プリンセスは彼にお姫抱っこされて連れ帰されました。

プリンセスがお茶会で冷やかされたところを読んでいた時、またアニメを最初に見た時と同じように「これは現実社会の女性の立場を諷刺しているのか」と一瞬疑っていました。しかし最後まで読み終わり、オチはどこ?っていうのが私の真っ先の感想です。

なぜなら、読み切り前半プリンセスが周りから蔑視されている現状は後半まで何一つ変わっていませんから。もしこの読み切りに続きがあり、翌日にまたお茶会が行われるなら、プリンセスはきっとまた嘲笑われるでしょう。ただ自分がプリンスに愛されていると信じ、周りの言うことを無視して多少安心になれるだけです。

読み切りの最後にプリンセスがプリンスに求められ、お姫抱っこされ、それでプリンスからの愛を感じて満足し、「プリンセス」というキャラの内心は周りにどう言われようと愛してくれる人がいればそれで充分だと、読者が前後の話がまとまって見えるように誘導し、仕向けたのです。

なんとなくまとまって見える原因は、愛されているなら、妊娠して子供が産まれば、周りが自ずと黙ってくれる、という想像できる未来はこの話の隠した解釈です。

プリンセスにぶつかった女性蔑視問題を掘り下げようとしない、その問題をプリンセスがさらにか弱く見え、(男性読者目線)守る側に自分を重ね、庇護欲をくすぐる起爆剤、(女性読者目線)包容される側に自分を重ね、所有され物にされる幸せで満たされる起爆剤にしただけです。

だらか私はこう言います:この作品は性差別や女性の社会進出を描けようとしてはいません。フェミニズム作品に見せかけ、性差別を娯楽として消費する作品であります。読者はこのような作品を食用し、モルヒネと同じ効果で自分を一時麻痺して現実から逃げます。

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あの時代の人間の考えは今の時代のとは違う、一緒にしてはならない、私はそう思いません。

その時代で性差別が当たり前で全ての人に受け入れられてるから誰も疑問を持っていないと思うならそれは大間違いです。いつの時代の女性だって自分の縛られた運命を悩んでいた人は絶対大勢います。

仮にアニメの世界のように誰も性差別に気づかない、問題意識を持っていないなら、そもそも差別自体が存在しないことになります。女性の地位も改善しようとしなくて済み、その世界の未来でも女性が差別されるまま時間だけが進んでいくのはずです。過去何千年の人類文明であったように。

今の時代がそうならなかったのは、過去の人々はその差別を意識しはじめ、生産率向上した産業革命を機に、戦争で人手不足の状況を機に、自分の権利を取り戻そうとしたからです。

このアニメ/原作ノベルの恐ろしいところは、制作側はキャラクターたちに性差別への覚醒意識を持たせようとしないから、その普遍的差別があまりにも現実世界の人々の思考に染み込みすぎで気づくすらしていない視聴者/読者が大勢います。当たり前の日常ですから。

天文本部の職員が全員男性ドールが全員女性であることについて私に質問される前に何の違和感も感じていなかった人は周りに何人もいました。「男性の仕事」「女性の仕事」という現実社会の性別イメージと合致しているからです。

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「難しいはず」?それは憶測でしょう。なら私も憶測でそれは「性的意味を暗示するシーン」だとはっきり言います。

ナイフ捌きは「日々の中で普通に出来るように」なったのに、手袋を外すことが日々の中で普通に出来るようになれないのは可笑しいです。ダブルスタンダード的な考え方です。自分の都合のいい/(無意識の)欲望のままの解釈しか認めていないのです。どう見ても手袋を着脱する比率は食器を使うのより高いです。

可憐の唇を見て欲望が掻き立てられたと潔く認めたらどうです。私は認めますよ。

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「女性にハイヒールを履かせていること」へのバランス?絵造り的な?男女平等的な?2020年の現実世界で男性がハイヒールを履いてるのを普段(特殊な場合を除く)見かけることはまったくないのに誰もバランスが崩れているとは思っていません。

キャラデザや監督を務めた女性制作者たちが遊びとして自分たちの性癖を持ち込み、且つオタクに媚も売れる設定にしたとしか感じていません←中立的な意味で、批判していません。

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もちろん恋文は特殊案件だと分かっています。
皇族のスピーチライターになれる/相応しい者は必ず長年の文筆業または政治関係の経験を積んできた者です。私は可笑しく思ったのは宮中に講演稿を書き上げる技術を持つ文官一人もいない、もしくはあえてこういう文官に任せずに知り合いの代筆屋さんに頼んでいることです。

こういう一国を統べる皇族のやり方をすんなり受け入れた/納得している読者/視聴者がいるかもしれません。しかし私から見れば話は有り得ないほどリアリティがなさすぎ、こういう国は弱すぎます言葉の力をテーマの一つにした世界観設定なら、なおさら文章の重要性が知れ渡っているはずです。

恋文だから政治に長けた文官に頼んでもいいものが書けるとは限らないというのなら、言葉を覚えてからまだそんなに年数が経っていない人に頼んでいるほうが説得力のせも見えないです。

オペラの件も同上。

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私が言ったのは読者は自分をキャラに重ねた時→女性読者はヴァイオレット/プリンセス/各エピのヒロインに→男性読者はブーゲンビリア兄弟/旦那様だと呼ばれるお客様などにどう感じていたのことです。

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私は一言も「ミソジニー発言を隠せ」とは言っていません。

この作品は現代の作品だから現代の価値観で評価せずにいつの時代の価値観で評価するというのですか。もしこの作品が1910年に書き上げたものなら現代の価値観で評価しなくても別に構わないと思います。女性を束縛する道徳観は100年前のとあまり変わっていません。

結婚後に仕事続けるかどうかはただのストーリー上の個人選択であり、性差別への覚醒ではありません。

女性が結婚後も仕事を続ける=フェミニズムではありません。

仕事する女性もしない女性も男と同じように尊重される社会であるべきことはフェミニズム思想の一つです。

結婚後に仕事を続ける先輩が羨ましいと思った原因、逆に言いますと、今まで結婚後に仕事をやめなきゃと思った途端どこか気持ちが沈んでしまう原因、それをセリフを通して、映像を通して、制作側は表現しようとしていなかったです。

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カーテシーが普通の挨拶なら部長がそんなに照れるわけないです。「旦那様」という言葉で受けた衝撃のほうが大きいです。

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中国の有名なレビューサイト「豆瓣DOUBAN」でこのアニメに高い評価をつけたユーザーが断然に多いです。

その中に低評価したユーザーのコメントをいくつここでメモしておきます。

キャラデザからセリフや動きまでわざとらしい

思わせぶり

クリシェ オタクに媚を売ってる

涙狙いに来ているところが余りにも露骨でベタでそこが一番気に食わない

絵が綺麗なだけで、中身は空っぽ

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終わり。

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