喜怒哀楽

私が感じる喜怒哀楽について、書き上げておきたい。
最近の私は、怒りか涙しか身体から発散させていない。
喜びを思い出すべきだ。
人間ではない場所から抜け出すために。
必要な作業だろう。

喜び
私が喜ばしいと感じる地点はどこにあるだろうか。
本が読めた時。直感的にそう思った。
好奇心が達成できたときに喜びを感じるのだと思う。

怒り
これは今感じている感情だから、説明は容易いだろう。
人間の全てに過敏になっている。
言葉は全て自分に向けられている気がして、常に責められているような感覚がしている。他人から攻撃を受けたら、攻撃しかえすべきだろう。そういう頭になっている。怒りから逃れることは難しい。過敏だ。

哀しみ
怒りと同時に、何故か極限の感情を感じてか、涙を流していることがある。
肉体的(脳みそが悲鳴を上げている)な疲労による限界を迎えているのかもしれない。精神的な苦痛は、状況により発生するものだと私は考えている。飯を適切に食うことが出来ないというような日常のサイクルの乱れから、肉体的、精神的、共に私は蝕まれていくのだ。

楽しい
これを思う出すことが急務だろう。
私は何がしたくて生命活動を持続させているのか。
死にたくはないからで説明したくはないな。
それじゃ、動物みたいだ。神には抗うべきだ。
死という設計よりも、人間としての尊厳を見出すべきだろう。

楽しい瞬間をもう一度確認しておこう。
生きるために必要な確認事項だ。
歌っているとき、これは生命を感じる。
つまりは、情動を放っている状態。それに生きている感覚を見出している。
あとは、新しいことを始めた時。これも楽しく感じる。
最近だと、本を読むことはこれに当たるだろう。
寝ることも好きだ。健康にはよくないな。
映画を観ること、意見を表明すること、思考すること、物を食うこと。

昔は人間を考えることが好きだった。
最近はそうでもない。
人間が煩わしい。面倒くさい。

僕の口癖は「まぁいいや」なので、いつかまた拘りが出てくる時を願う。

最近は、人間について、まぁいいやと思うシーンが多い。
関心を向けられている感覚が全然ない。
愛情を向けられたいのだろう。欠陥品。

とりあえず、寝て、食って、日差しを浴びて、生きなさい。
それが私が私に対して願うこと。課したもの。
もう一度、いい感じになったら会いましょう。
それまでは、死んだ顔をしていてください。
さようなら。それでは。

人と話しているときは苦痛から逃れることは出来るのだが、迷惑ばかりかけているよなと思う。人間が欲しいから、人間を目指そう。あーやだやだ。

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