喋る能力の由来

僕の長所を、いくつか挙げていきたいと思う。
特徴的なものとしては、思考が深すぎることと、大変よく喋ることだと思う。

喋ると一口に言っても、雑談とか、議論とか、意見出しとか、色々が存在している。私の場合は、司会進行業的な役割を担っていることが多いように思う。意見を統合する能力と、喋りを行う能力とが噛み合っているのかもしれない。

普段からあらゆることに関して思考を深く巡らせているので、咄嗟に出てくる意見にも自分なりのしっかりとした基盤があるように感じる。

持論を表明することは昔から意識的に鍛えてきたので、あんまり他の個体に負けるつもりもないのだ。

疑問を持つこと、考えること、それを表現する(言葉にする)ことが得意なようだ。

子供の頃の口癖は”要するに”だった。生意気な子供だが、思考を極めるには、なかなかいい趣味を持ったなと思う。

喋りはどこで鍛えたのだろう。考えてみよう。

喋りは、ADHD的な素養から来ていると思う。
思考に関しても、ほぼほぼ障害みたいなものだと私は思っている。
頭が破裂しそうなほど考える。障害みたいなものだ。

私が喋るのは、単純に思考量(インプットしている情報量)が多すぎるからだと思う。喋らざるを得ないのだ。

現在、キャスでは一人語りを、インターネット勉強会では、質問する役割と、司会進行の役割を担っている。司会の役割を依頼されるのは、結構多いことで、就労移行でも、企画を作成し、司会は私自身が行っていた思い出がある。エンジニア的な役割の人、企画進行の進捗を管理する人、様々な人々に支えられながら、私は企画に対する意見を出したり、やっぱり、喋っていた。

明るく明瞭に話すことも好きだし、得意だと思ってる。
場に合わせて話すことが多分好きで、得意なんだと思う。

思考し、それを言葉として吐き出す。
これを繰り返していたら、効率的な吐き出し方を覚えてしまったらしい。
だから、話すことが得意であり、好きなのだと思う。

分析とアウトプット、これからも続いていくのだと思う。
少し、休むことも覚えながら、生きていきたい。

司会が得意だとしたけれど、意見をまとめることが得意なのかなと、自分としては思ったりした。他人から見た自分も知りたいな。
どんな風に見えているのだろう。能力の把握は大切だ。
自分にしかない価値を、追い求めていこう。

それでは、本日もnoteを読んでくださってありがとうございます。
また次回、お会いできればと思います。さようなら。よい夢を。

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