人間の区分

人間のタイプを分析したい。
そんなことを思ったので、書き記しておこうと思う。

例えば、積極的に話す人と、口数の少ない人間がいるとする。
私は多弁なタイプであり、話すことが好きなので、話せば話すほどに満足度が上昇していくタイプなのだ。
だから、全体としての、話すバランスをかなり意識して生活しているつもりだ。出来ているかは知らない。気になるという話。

表現が薄い人間の思考があまりわからない。
関わっていると疲れることに最近は気付いた。
だからこそ、ある程度、”様々な人間が生きていること”について私は知る必要があるだろうと思った。

人間には、それぞれ、大切にしていることやものがある。
それが満たされたときに、喜びや感動を感じるわけだ。
そして、それが生きる原動力になる。

人によって、心のツボが異なる。そういう説明でいいだろう。
僕は未熟で、人の心、経験を理解できていない。
完全に理解できる日はもちろんやっては来ない。
だけど、大体このようなものなのだろうという、やりやすい身のこなし方は習得しておきたいのだ。

社会性のある仮面を獲得したい。

私は、心を開示してくれることを人間に求めている。
私自身の心の開示性が非常に高いこととも関連しているだろう。
他人の心の中枢が気になるのだ。
何を考えていて、何をしたら幸せで、どんな言葉を受けると喜ぶのか。
そういうことを私は知りたい。

人間の区分の話にやっと戻るが、ここでは、人間を続ける動機と、表面的な人格について考えてみようと思う。

人間を続ける動機とは、要するに、その人間の好奇心がどこに向かっているかである。
ある人はシステムに、ある人は発明や道具に、ある人は知識に、ある人は感情に、心は向かっていく。

すべてを共有することはきっと出来ないだろう。
だから人間はいつだって寂しいし、埋まらないのだ。
どうすれば人間から安心を受け取ることが出来るのか、それを考えている。
利益とかではない。真なる人間関係を私は手に入れたい。

表面的な人格に関しては、明るい人間、飄々としている人間、本音で話す人間、深くまでは語らない人間、他者をよく褒める人間、とかだろうか。

このリストアップ、なんだかなあ。自分の都合ばかりな気がする。
他人に表現を求めている自覚がある。苦しい。

生きるための思考を、方法を、私は私に教えてやらねばならない。
まとまらないテーマを設けてしまったのは、本当に話したいことがないからだ。

今日はそんな日だった。
誰かにとっての心地いい瞬間を、いつか私は、知ることが出来ますように。
もっと大きな人間性を私に纏わせてください。
私のために他人が生きない世界で、上手く人間と共存できますように。
相互理解、それを程よく、あまりにも寂しくなってはしまわないように、人間と人間が生存できるといいね。

迷ってばかりの人生、踏みつぶしてしまいたい。

常に不安だ。この心を塗り替えるには、まだまだ、人間と相まみえる必要がある。

諦めはしないだろう。どうせ、僕だから。信用しています。まだ生きろ。

そんなわけで、今日はここまでです。
noteを読んでくださってありがとうございます。さようなら。
よい夢を。おやすみなさい。

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