ネット心理教育の有用性

今回は、折角ネット心理教育(以下、長いので心理教育)に関われているので、改めて、この企画が私に対して、どんな意味を持っているのかを振り返ってみたいと思います。これからの時間を無駄なく過ごすためにも、この思考は有益なものになるでしょう。

大きく分けて、
心理教育に参加して得られた効果
代表質問者、ゼミ長として、役割を経て得たもの
に関して話していこうと思います。

心理教育に参加して得られた効果
まず、一番大切なことは、自分の症状を把握することだと思う。
自分には双極症という診断名が付いていて、それに対して確かな意識付けをしていこう。そういう気概を持つこと。これは第一ステップだろう。
そして、これをクリアするために、心理教育に参加することは重要だ。
病気に関心があること、また、その空間を共有し、知識、意識を自分の中で強固にしていくための役割が心理教育には内在していると思う。

参加したいと思った時点で、病気に対する意識がひとつ、段階として進むわけだ。そういった効果はあるだろう。

また、様々な人間が同時に心理教育に参加することにも意味があるように思う。意識的に、孤独ではない感覚、共に学んでいるという実感。こういった意識も、病気に対して対抗していくための手助けに繋がっているはずだ。

さらに言えば、心理教育は”受ける”のではなくて”参加する”という意識が大切になってくる。自分なりに考えて、知見や認識をまとめることが、病気に対するアプローチとして重要なのではないだろうか。

双極症に関する知識としては、私個人としては薬のことはあんまり関心がないので、知識の定着は難しいかな、と思っている。
だけど、糖尿病の人間が食事制限をしているように、双極症の私も、躁状態に出来るだけならないための予防策を講じる必要があって、(躁状態に至る段階を認知し、それを避ける、控える生活を見つけ出し、自己をコントロールする必要があるのだ。多分。)そのために病相を把握することは大変役に立ったと感じている。

まず、双極症は躁状態と鬱状態を繰り返す病気だと思っていたが、その時点から認識が異なっていた。

混合状態の存在も、心理教育を通じて初めて知った。
その回に参加した後、医師から「混合状態」というワードを放たれたのだが、この時意味をきちんと理解することが出来たのは、間違いなく心理教育のお陰だった。
医師からしても、自分の病気に関して、知識を溜めようという姿勢は肯定的に見てもらえる要素だと思うし、なにより、医師と的確に言語で情報を交わせるようになったことは、通院に意味を持たせるという視点からも、骨格として、得られてよかったと思っている。

また、薬の知識に関しても、代表的な薬の紹介を繰り返し行ってくれたので、イメージとしては把握出来た気がしている。当事者同士の薬の話に対して、着いていけるシーンが増えたのは、心理教育を介して、知識が知らず知らずのうちに溜まっていったからだと思う。無意識的に記憶していたわけだ。繰り返し重要な地点を確認することは、知識の定着に寄与しているなと感じた。

続けて、これはネット心理教育ならではの事柄なのだが、決まった時間に端末を用意して話を聞くという行為全体がリハビリ的な要素を持っていると思う。
その時間に向けて体調や用事を管理して備える。ここには多分社会性の小さなものが埋まっている。
決まった時間に約束通りに参加する。このことは社会参画の意味で重要であり、その練習の場として、インターネット越しならば鬱的でもハードルが低く設定できるので、利点として大きい点になると思うのだ。

②代表質問者、ゼミ長として、役割を経て得たもの

現在、私はネット心理教育の上で、代表質問者の役割と、ゼミ長の役割を担っている。
代表質問者とは、当事者の一人(専門知識がある立場ではない者)として、本枠などで疑問や質問を投げかける役割を担うものであり、ゼミ長の役割は、本枠に付随して開催されているゼミの司会進行役を主に担うものである。

代表質問者として得たもの
代表質問者を経験して得たものは、思考をまとめる能力が最たるものだと思う。
元々、得意ではある。更に磨かれたような気がする。
旧友から言われたのだ。「昔よりも滞りなく思考が出てきているような印象がある」と。
なので、厳密に言うと、思考をまとめる能力と、それを言語化する能力に磨きがかかったのだと思う。
言語化する能力に関しても、昔から得意な方ではあって、本枠に関わることで更に鍛えられたような気がしている。

あとは、人間関係の上で、関わりたい人間、面白そうな人間、人間性として好みである人間と関われたことによって得たものも確かに存在していると思う。
要するに、少しばかりの安心感を得た。
元々の性質として、人間に対して相当な警戒心を抱いている方なので、割と大胆かつ時間をかけて、関係性を構築してくれた人たちからもらったものは多いと、大きいと思っている。

人間に必要なのは、安心感だ。
私はそれを、この場、環境に少し見出した。
人間に頼るということも、教わった。
まだ、出来ないと思う。苦手だ。
人間として生きるために必要なことを、教えられているような気がしている。

ゼミ長として得たもの
ゼミ長の役割は、ゼミの司会進行業をすることだ。これも、私の続けてきた”話す能力”が活かされるフィールドだと思う。
テーマを考えることや、ゼミで出た意見に関して深堀していくことも、私の思考能力を高めてくれるいい材料になったように思っている。

私がネット心理教育に関わって得たものは、主に得意なことを伸ばす方面の話になっていることに気が付いた。

僕はこれからも、喋って、思考して、関わって、この命を過ごしていきたい。そんなことを今は考えている。

ちょっと話は変わるけれど、苦手なことも少しずつ、克服してきたように思っている。
ひとつは、PCの知識。これに関しては、役割を遂行する上で、相当鍛えられたと思う。今までは関心が薄かったことだったのだが、やりたいことに関して、どうしてもPCを使う必要が出てきたので、勉強するいい機会になった。
デイケアで学ぶよりも、絶対的に価値のあるものになった。
これは私の人生を変化させていくものとして、大変意義のあるものになった。
出来ることが増えるのは嬉しい。そういう意味でも、有益だった。

くわえて、苦手なことは人間関係だ。
雑談とか超苦手だ。これは、正直、現在でも変わってはいない。
だけど、幾分か柔らかい人格をいつの間にか獲得していたように思う。
人間が人間に影響を及ぼす。私はそんな影響を、これを介して得た。
多分、そうだ。

可能な限り、人間への興味を忘れないようにしたい。

最後に
私がネット心理教育に飛び込んだ理由はただひとつ、面白いと感じたから
これを忘れてはいけないと思う。
楽しむことは何よりも重要だ。
人間に親しみを感じて、このいい感じの人間の循環に、私も連なっていたいなと思う。
人間は楽しいことをするために生きているのだ。きっと。

本日もnoteを読んでくださってありがとうございました。
また次回、お会いできればと思います。
それでは、おやすみなさい。よい夢を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?