私がnoteを書く理由

私がnoteを書き始めた理由、未だ、書いている理由を改めて知っておくべきだと思った。意味もなく時間を浪費するのは馬鹿らしいから。思考しよう。

書き始めた理由は、何か続けたかったから。
思考をアウトプットして、言語化する場所を増やしたかったから。
書き物をする人間の美しさを、私も手に入れてみたかったから。

大体、そんなところだったように思う。

今は、どうだろうか。惰性でないか。

惰性もあるだろう。でも、それでいいんだ。

人間に必要なことは、好奇心と楽しむ気持ちと、追い詰められる気持ちや閉塞感。つまりは、背中を押してくれる何かだ。マイナスだっていいんだ。

だけど、noteはサボりながらやりたいな。

実際、サボってもいるから、そんな感じで日々を送っていきたい。

僕はnoteに対して、僕を進化させる何かを期待している。

今は、半分ブログ的な、感情整理を主たる目的としてnoteを書いている気がする。
始めた時は、思考整理の目的でnoteを始めたつもりだったのだが、たまにはがっつりテーマを掲げて、思考を巡らせてみたいものだ。

世の中に対する関心が低くなってきているのかもしれない。
いちいち、気にかからなくなっているとも言える。
経年したなと思う。他のことについて、鈍麻している。

今ある関心は、私が私について価値を成すことだ。

私は、私ひとりでも生存しなければならない。
それは、毎日思うんだ。

他人のために生きようとして、死ぬような無様な醜態を晒すことから離れたいんだ。

そのためには、完璧を求めないことかな。
こうやって、散らかった思考をまとめていく。
この過程は実に気持ちがいいものだ。

私は最近学んだんだ。醜態を晒すって意識が私をなによりも苦しめているってことに。
死ぬ前に苦痛を吐露することは、生存するために必要な方法だろう。
それを取れないとすれば、生き物として、命を守れないのだから、健康でないな。
変な責任感で身を滅ぼしてしまうことは、馬鹿らしい。
即刻、辞めるべきだ。

過去の自分を殺すために今日の自分は生きているのだ。
同じ苦しみを延々と繰り返すために命があるわけじゃない。
助言や観察報告をもらいながら、私は生きていこう。

そうだな、生きていこうで文章が終結するところも、私らしくて好きだ。
そういうまとめで、今日は終わります。

noteに関しては、暫くは、思いついたことを思いついたままに書く場所にしてみようと思っています。

それでは、今日もnoteを読んでくださってありがとうございます。
また次回、お会いできればと思います。

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