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期待について

 期待という感情を抱くことがあります。
子どもの頃は、「〇〇買って欲しい~」とか、「テストでいい点とったら褒めてもらえるかな」等々。社会人になれば「先輩や上司に褒められたい」とか、「このビジネスを成功させれば自分の価値が高まる」等の期待。あるいは、親子関係において、親が子どもに対して「いい暮らしをして欲しい」とか、「いい会社に就職して欲しい」等という気持ちもあるかもしれません。この記事ではそれらを否定するものでも肯定するものでもありません。期待という感情が一体どこをきっかけにして立ち現れてきたのかを探ってみよう!という試みです。
 私たちが日々生活する中で何気ないことも含めて期待という感情は存在しています。
 それでは、一体その期待はどこにベクトルが向いているでしょうか?そのことを丁寧に拾ってみるととても興味深いことに気づきます。
 たとえば、朝起きた時、「なんだか憂鬱な気分だなあ・・・今日は会社休みたいなあ・・・」という気持ちになったとします。
「通勤途中なにかトラブルでも起きて会社行かなくてもよくならないかなあ・・・」
 仮にそう思ったとします。この例において期待のベクトルは本人以外に向けられていることは容易に分かります。
 会社に行きたくないという自分の希望を通勤途中のトラブルという自分とは関係のない外部要因に期待というベクトルを向けています。
 ここまでこの文章を読んでいただいて「なんだ!この記事は単に自分以外のものに期待しても意味ないって説教の話か」と読みとるかもしれません。確かに自分以外に期待のベクトルを向けても、それは他人任せな振る舞いとなってしまうので、結果として実りのない期待となってしまうかもしれません。ただ、それ自体もここでは何ら否定するつもりはありません。
 話を戻しましょう。
 それでは今度は自分自身に期待する例を考えてみましょう。
「ぼくは今まで学校で成績優秀!常にトップクラスだった!!だからビジネスだって成功するに違いない!」そう期待することに何の問題もありません。期待がないと挑戦できません。
 しかし、私たちは期待を正しく使いこなしているでしょうか?この記事のテーマはまさしくそこにあるのです。

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