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音楽ゲームが脳内ゲーム履歴検索ですぐ出て来ないのでUXを改善してほしい

普段ゲームをしない。

嘘である。普段ゲームをしている。でも、「普段ゲームをしますか?」と聞かれると「いや全然しないですね」と答えてしまう。
それは別にゲームをしている人間だと思われたくないとか、何らかの思惑があるのではなく完全に忘れている。
正直全く思い出せないと言ってもいい。

数年前からApexの配信をYouTubeでよく見るようになった。完全にVtuberの影響だ。そこからさまざまなFPSゲームを見るようになって、いつの間にかeスポーツ観戦者になっていた。自分がプレイをするわけではないのもあって熱心な応援などは行わないが、それでも見ていて熱くなるものがある。

スポーツ(観戦)とは無縁だったため、応援するだけの人間が熱狂する、あのはたから見れば不思議な光景の中に、いつの間にか自分がいることに少々の驚きを覚える。

最近はグラフィティをして戦うイカが恐ろしく流行っている。正確にはTPSのゲームだが、そういったシューティング上級者から、そういうのに触れてはいないが別の種類のゲームをしているゲーム上級者、ゲーム好き、周りがやっているから買った人、これを期に本格的に始めた人、復帰した人、多様な人間が仮想世界でインクを塗り合っている。メタバースの世界はこれからだというビジネスパーソンがバカバカしく見えるぐらいには、皆が同じ世界に没入している。

僕はといえば、その配信を見ながらゲームをしている。音楽ゲーム『SOUND VORTEX』だ。コナステ版といってゲームセンターで遊ぶものを家でやっている。サムネの通り専コンも購入済みである。

家で行う音楽ゲームと、外で行う音楽ゲームは全然様相が違う。全く同じ操作をしているが、ゲームセンターには時間制限、同じゲームを行いたい他人、金銭など、長時間やるのに適していない部分が多い。特に音楽ゲームは立って行うものが多いように思う。それも拍車をかける。そのため集中して一曲一曲選曲していくのである。

一方、家で行う時はと言うと、サブスクリプション方式になっており、やればやるほど元が取れる。もとを取るためにゲームをしているわけではないが、家で行った曲数をゲームセンターでやっていたら一体いくらかかるか見当もつかない。

そして無心だ。自分はゲームの楽しく遊ぶとともに上手くなりたい。多くのゲームはうまくなるとより楽しくゲームが遊べる。うまくなる過程もまた楽しみの一つである。そうなると家で行う音楽ゲームは、無心で手を動かし、慣らす、鍛えるというのが目的になってくる。

これはこれで楽しいのだが全く頭を使っていない。すると、私はマウスを動かして、デュアルモニターの使っていない方の画面にVtuberを始めとしたストリーマーの配信を流し始めるのである。

YouTubeを見ながら行う音楽ゲームは、正直音楽ゲームではない。音楽はあんまり聞いていない。音楽ゲームをやる人ならわかるかもしれないが、ある程度やり込めば譜面を見ると音楽が勝手に流れてくる。また、音楽自体が惑わしてくることもあるため、音無しでプレイしたときに初めて「こんなリズムで叩いてるのか!」と知るときもある。

つまり、音楽ゲームにとって音楽というのはなくてはならないのに、なくても楽しいのである。

YouTube等の配信の音が音楽ゲームを邪魔してくることは少ない。配信でもっとも聞かせたいものは配信者の声だ。次にゲーム内の効果音。そしてその後ろにやっとゲーム内BGMになってくる。そしてこのゲーム内BGMも音楽ゲームとは違い、ゲーム性に過干渉しないような作りになっている。
ゲームなどをしないYouTuberの動画でも、BGMを過剰に大きくする必要はない。聞かせたい音楽なのではなく、無音を嫌った音楽だからである。

ここで困るのは広告である。広告が流れ始めると、プロがきれいにMAした状態で、タイアップした音楽やArtlistで購入したであろう音楽が流れ始める。あまりにきれいなMIXに、音楽ゲームの譜面が乗っ取られてしまう。BPMが合わなくなり、付点8分が8分音符になり、メロディを担っていたロングノーツが示す音がわからなくなる。

そして僕はYouTube Premiumに入ってしまった。

もともとTVCMは好きだし、YouTubeの広告にも面白いものはあるし、面白くなければ何が良くないのかを考えたり、それを友達とネタにしたりできるので、広告を消す行為というのが自分にとってプラスではなかった。広告業界で映像を作り始めてからは一層その思いは強くなった。

しかし一旦入ってみるとどうだろうか、広告のないYouTubeはあまりにも快適である。他のPremiumに加入していないアカウントで動画を探したりするとなおさらあまりの広告のウザさに驚いてしまう。広告自体に腹がたつのではなく、その動画が見たいと思ったときに見れないというアンチUXに苛立ちを覚えるのだ。

広告のウザさはその内容だと思っていたが、思い返せばタッチしようとしたら現れるバナーや、ゲームをクリアするたびに現れ5秒待たされる広告、オチだけを隠し正解はCMの後とするテレビ。新聞広告や電車広告、渋谷を代表するデジタルサイネージにこのイラつきはない。一部の広告への嫌悪感がシステムから来ているものだとしたら、これはなかなか本質をズラされているし、見えづらい。とはいえ変えることも難しいシステムなのかもしれないが……

個人的な意見だが、むしろ案件動画などと銘打たれているもののほうが素直に商品を買う。その企業も同じようにこの人を応援しているのかと、短略的だが嬉しくなるのも事実である。もう広告の仕組みなど皆に知れ渡っているのだから、「よし踊らされてやるか」という気にさせられたほうが気持ちがいい。

最近Vtuberが紹介していたイヤホンとパンを買った。両方必要だったからだが、必要に迫られたときに選択肢が現れると、途端に広告は強い力を行使してくる。車の広告を見るほとんどの人がその車を買わんのだ。今、買い換えや新しく購入を検討している一部の人に届けばまさに儲け物なのだ。

あまりに脱線しすぎた。話を戻す。YouTubeを見るのに頭を使い、手はずっとボタンを叩いている。この状態が長く続くと、自分の頭の中の「ゲーム履歴」からいつの間にか音楽ゲームが削除されることになる。この他のFPSなどの対人戦とは違うゲーム性によって頭の中のカテゴリー分けがゲームではなくなってしまうのだ。

なにかモンスターを倒すためにレベル上げをしたり、敵を正確に撃つためにリコイルを習得したり、テトリスよりも攻撃力の高いTスピンを勉強してみたり、他のゲームには別の達成目標や本来のゲーム性があり、それに付随して練習部分がある。

対して音楽ゲームは、何度も同じ曲を繰り返してさっきよりも正確に弾ける場所を増やす。日々少しずつスコアが上がると満足感を得て、昔の自分を越せないと何が違うのだろうと首をかしげる。このゲーム、練習しかないのだ。

一つの曲をクリアしたいと他の曲で練習を重ねる。クリアすると次はそのスコアアップを狙う。まさにトレーニングというのにふさわしいだろう。なにか目的があるというよりトレーニング自体が楽しいのだ。ストイックなゲームジャンルであると思う。そりゃ「ゲームしてますか?」と聞かれて思い出せないのだ。スポーツしてますか?と聞かれてトレーニングをしていますと答えるのと同じだろう。「鍛えてそうなのにー」と言われてやっと思い出す。

ゲームセンターで音楽ゲームコーナーを観察する機会があれば一度見てみてほしい。多くの人が無言で恐ろしく真顔でボタンをかちゃかちゃしている。見た目だけ見ると本当に楽しくなさそうだ。そんな人たちが荷物をかごに入れて様々な器具の前に立っている。トレーニングジムを彷彿とさせる。もしかすると、一人ぐらいは首を傾げている人間を見つけるかもしれない。

そして、それは私かもしれない。


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