「アデル、ブルーは熱い色」を見て

アマプラ映画感想日記第9弾。
今回見たのはこちら。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00PYVZA8W/ref=atv_dp_share_cu_r

アブデラティフ・ケシシュ監督による2013年公開のフランス映画で、同年カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した作品です。
日本でも一部モザイク処理がされ2014年に公開されましたが、R18指定され公開される劇場はかなり限られました。

きれいごと抜きにして「性愛」を様々な視点から切り取って如実に描き切っています。
それは目を背けたくなるほど生々しく。
あまりにも長く、多く、そしてリアルな性描写がこの映画の特徴です。
苦手な方は見るのを控えた方が良いかもしれません。
しかしこの部分の描写にこそ、感情の機微が描かれているのだと思います。

物語は主人公のアデル(アデル・エグザルホプロス)が高校生のところから始まります。
哲学を専攻し思索に富んだ彼女。
そのため、「誰が出会ってからセックスまで3か月も待つのよ」と言ったような女友達の下世話な話を一歩引いた冷めた目で見る節がありました。
通学バスで隣の席に座ったトマ(ジェレミー・ラウールト)からの押しに負け、交際することになるが、セックスしてもなんだか満たされない。
そんなときに女友達のベアトリス(アルマ・ホドロフスキー)からふいにキスされたのが忘れられず、自分の性的嗜好に気づく。

そんな中、男友達に誘われて行ったLGBTのバーで出会った青髪の美少女エマ(レア・セドゥ)に一目ぼれする。
エマとはキャンパス内でも前に一度すれ違ったことがあってその時の印象が鮮明に残っていた。
運命の再会を果たした2人は意気投合し、その後はキャンパスを繰り出して遊びに行ったり、お互いに家に行ったりして愛を深めていった。

先ほども述べたように、この映画は性的描写が長く、多く、生々しい。
しかしその1つ1つが別の色を持っています。
男のトマと付き合っていたときのセックス、性的嗜好を開放できるエマの家でのセックス、家族に理解されなさそうなため女友達として装っているアデルの家での声を殺したセックス、エマが徐々に不信感を募らせていった倦怠期のセックス、大喧嘩して離れ離れになった後再会し恋しくて我慢できなかったセックス…
それぞれの描写から2人がそれまでに育んできた葛藤や思いが見て取れます。

アデルとエマの2人の人生観は対照的でした。
アデルは家庭の方針もあり安定志向。
我を押し通すこともなく、周囲からの期待に応えるため幼稚園の教育実習に行き早く手に職をつけようとしています。
でも本当にやりたいことかと言われると微妙で、満たされなさがある。
だから、エマと2人でいる時間が一番幸せで、愛に飢えているように見えます。

一方でエマは美術家になるために周囲の反対を押し切って自分の道を突き進むタイプ。
アデルの葛藤も見抜いていて、「文章を書いたらどう?」と勧めている。

離れ離れになってからの2人の描かれ方も対照的で、見ていて悲しくなってきます。
仕事に打ち込むエマに対して、アデルは子供への接し方も迷走してしまい、毎日孤独に苦しむ日々。
とにかく愛に飢えて飢えて仕方ない。
それがエマと久しぶりに再会した時の行動に現れています。
でもエマにはもうそんな気持ちはなくて、その温度差が切ない。

結局温度差があったままハッピーエンドとは言えない結末で終わってしまったが、ラストの展覧会の描写でアデルは何かを得たような、そんな気がします。
ホントに目指すべきものができて、前を向けていたらいいな。
そう感じさせるラストでした。

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