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軸を作る:心と身体は両輪


2020年度最初のnoteへの投稿になります。

このシリーズでは一貫して自分の軸を作る、ということを焦点にあてて日々考えています。

前回、自分の歪みを認識することが大事という話をしました。

ここからは、自分自身を知ることの重要性、ということ考えていきたいと思います。

今、色々と私たちの心をかき乱すような話が多い今だからこそ、考えてみたい。心と身体のお話です。

自分の軸を考える上で、心と身体のバランスが整っていることは重要です。そこでこのことを今回は考えてみたいと思います。

1 心って?

この素朴な疑問に対して正面から答えた一つの質問と回答があります。

「大学に入って心理学を勉強し始めました。「私には心がある」という感覚に疑いはないのですが,その心はどこにあるのでしょうか。やはり脳でしょうか。」

に対する日本心理学会のHPに掲載されている話から引用してみましょう。

心の場所探しの歴史は古く,たとえばアリストテレスは胸(心臓)にあると考えました。好きな人を想像して胸がドキドキすることがありますよね。医術の祖ヒポクラテスは脳にあると考えました。あなたを含めた現代の多くの人たちと同じです。これに対して,心を別個の存在として認めようとする立場もありました。中世の哲学者ルネ・デカルトは魂の存在を公言しました。でも脳とは別の心って何なのでしょう。どこにあるのでしょう。そもそも場所探しという問いかけが間違いだと言ったのは,ギルバート・ライルという哲学者です。心の場所探しをするのは,大学を構成する建造物と大学という機能を同一視する誤り(カテゴリーミステイク)であるという,比喩を使った彼の主張は説得的です。

これを書いているのは心理学ワールド第50号掲載(2010年7月15日刊行)

で森直久(札幌学院大学人文学部教授*当時)先生です。

心の場所探しをすることは意味がない。といいつつも次のように回答されています。

近年の脳研究の成果は,心とは脳であるという言明を強く支持しているようにみえます。これは還元主義という立場です。心理学は脳科学に吸収されてなくなってしまいそうですね。でもちょっと考えてみてください。心の境界はどこになるのでしょう。心が物理的作用だとすると,物理的作用は脳内部にとどまらず,脊髄,末梢神経,感覚運動器官へ,さらに皮膚からそれと接する環境へとつながっています。どこで区切ればよいのでしょう。脳科学者である大谷悟さんは,ためらいながらもこのように言います。「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生・存在している」(大谷,2008, p.226)。心は身体―環境システムの別称である。これをあなたの質問への回答としておきましょう。

この中で紹介されているもの本も読んでみたいですね。

河野哲也(2005).環境に拡がる心 勁草書房
大谷 悟(2008).心はどこまで脳にあるか 海鳴社

特にこの2冊。

心が何であれ、デカルト風にいうならば、

「我思う、故に我在り」

やっぱり心って存在してるのかな?

と思います。

2 フィジカルは心(メンタル)にも影響する


ハート

私は学生時代剣道をやっていいたのですが、

『心の在り方』大事とされています。乱れた気持ちで打ち込んでも決して相手に当たらない。

それと同時に、『身体すなわち体調を整えておく』重要性も強調されます。

皆さんもどうでしょうか?

睡眠不足、疲れているとき、心は弱くなりませんか?

私もそうです。だからしっかりと食べて寝ないといけない。そう思います。

心と身体は一体、というよりは両輪、と私はイメージしています。

バランスが大切。

心(メンタル)ばかり強くしようとしても難しい。合わせてフィジカル(身体的)な強さが求められていると感じています。

村上春樹さんは専業作家になってからランニングを始め、それから30年以上にわたって、ほぼ毎日一時間ランニングすることを、あるいは泳ぐことを生活習慣とされています。

村上春樹さんの「職業としての小説家」にこんな話があります。

「体力が落ちてくれば、それに従って、思考する能力も微妙に衰えをみせていきます。思考の敏捷性、精神の柔軟性も失われていきます」(187頁)

村上春樹さんの小説に好き嫌いはあると思いますけど、彼のポリシー、生き方は、軸のある人間の一つの形としてとても参考になると思います。

自分を持っている。動じないメンタリティーの持ち主ですね。

そう思っていたら、私の好きなbar bossa林さんが村上春樹さんのことを取り上げていて、なんだかシンクロニシティを感じました笑

*bar bossa林さんのnote定期購読者ですが、そちらは別アカウントでこっそりフォローしてます。

3 マインドフルネスを通じた気づき

心をどう鍛えるんですか?ということですが、まず思い浮かぶのは、マインドフルネス瞑想でしょうか?

私は毎週必ずヨガのレッスンを受けていて、さらに最近は朝、軽くヨガをすることを習慣にしています。自分の体調を敏感にチェックします。今日は眠たい、ここが痛い、首が少し凝っている、とかいわゆるフィジカルなチェックですね。

仕事をしているときは、こうした身体の声を無視してアドレナリンで動いてしまったりするので注意が必要です。

瞑想はヨガでも取り入れられていますが、今、注目されているのはマインドフルネスかもしれません。

マインドフルネスは、元々仏教から始まったものですが、そうした宗教の要素をそぎ落として、科学的な見地から独立した一つの手法になっています。

これに対する反論もありますね。仏教の要素を落としたマインドフルネスがマインドルネスたりえるのか・・・。これはまた面白い問いだと思います。

マインドフルネスも禅も経験しなければ分からないことなので、ここで書いても感覚的には分からないと思います。

とはいえ、少し私の体験談を。

たまに座禅に行くのですが、あの静寂した雰囲気の中で、座禅をしていると自然と『自分の心と世界との境界線がなくなっていく』そんな感覚になって行きます。

そうした状態になることはすがすがしく、全てを受け入れられる心の状態にさせてくれます。

ヨガでも同じです。アーサナをこなした後に、死体のポーズを取った後、心地よい疲労感と全てが無になっていくような感じ、です。

ただ、個人的経験から言わせてもらえれば、座禅の方がよりマインドフルネス状態に陥っているような気がします。

おそらく30分ぐらいやるためだと思います。マインドフルネスはある程度の時間をかけてやらないと効果は限定的かもしれません。最初からそんなに長くやるのは難しいので、自分でやる場合は少しずつ、ですね。

マインドフルネス、座禅、ヨガも一度自分の心と身体をリセットしてくれるものでもあり、新しい世界との繋がり感じさせるもの、です。

集中力が高い時は、

心は宇宙のように無限に拡がっているのではないか

と感じることがあります。

あくまでも感覚的なものですけど。

お、そういえば、noteに瞑想やマインドフルネスを実践されている人いないかな~と思っていたら、ありました!


着実にマインドフルネス瞑想を実践されている。素晴らしいと思います。

ここで紹介されている事例は、等身大のやり方で、「私もできそう」と思えるものです。早速試してみようと思います。

そういえば、noteでこうしたことを書き留めるのって、コミットメント(約束)の意味でも有用ですよね。

4 心と身体を両方とも意識する

軸を作る、自分なりの価値観を構築していく。

そうした時に心と身体のことを意識する必要を強く感じます。

もちろん、そうした事を全く考えずに軸を作れる人もいると思います。

ただ、心と身体は両輪であるという事を意識しながら、生活していく。そして自分の微妙な変化に対する気づきを得ていく、その事がまず大切なのではないでしょうか?

「気の持ちよう」という言葉はありますが、「行動が心を変える」こともあります。まずはフィジカルを鍛えてみる、そしてヨガ、座禅(マインドフルネス)を実践してみる。それだけでも何らかの『気づき』を呼びおこしてくれるかもしれません。

瞑想ばっかりやったらいいんですか?

身体を鍛えればいいんですか?

といえば、そうでないでしょう。

やっぱり、バランスなんでしょうね。

私が好きな漫画オールラウンダー廻1巻でのこの場面

廻る

廻2

(出所)オールラウンダー廻1巻、106-107頁

心と身体を両輪として意識しながら生活してみようと思います。皆さんも宜しければ、ご一緒に。

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