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バンコク帰国後の変化を、冷静に見つめてみた


バンコク5日間の旅によって、私は大きく変わってしまった。
見た目は体重を1キロ増やしただけなので、言いさえしなければ誰にも気づかれることはない。(笑)

しかし、内側から自分を見ると変化したのを強く感じる。
それはまるで、心臓移植と脳移植(これは未だ不可能なことだと思うが)を一気にやってしまったかのようだ。感じること、考えることがさっぱりと別人のものになってしまったかのように感じている。

他人のようになってしまったのに、なぜ自分が変化したことがわかるのか?
それは、「記憶」だ。

以前の自分の記憶はそのまま残っていて、だからこそ今の自分と違う感じ方や考え方をしていることに気づく。ここまで書いていて気がついた。
これを別の言葉で言うと、「生まれ変わり」なのかもしれない。

実際に生まれ変わるには、一度死なないといけないのだが、生きていながら生まれ変わることができるとしたら、それは多分人生を2回生きることが可能なわけで、なんとお得な、ラッキーなことなんだろうと思う。

もちろん誰でもこの「生まれ変わり」は可能なのだが、生まれ変わる人と言うのはある程度傾向があるように思う。
それを5つに絞って書いてみたい。

生まれ変わりができやすい人の特徴

  1. 変化を好む人 

  2. 好奇心が旺盛な人

  3. 自分で物事を考え、決める人、または直感に従う人

  4. 突破力がある人

  5. 常識を疑うことができる人

他にも「生まれ変わり」の条件はあると思うのだが、パッと思いついたのはこの5つだった。


  1. 変化を好む人

変化を怖がらない人、と言った方がいいかもしれない。変化は絶対に嫌だ、と思っている人は現状に満足している人が多いと思うので、別に無理に変化する必要はない。
ただ、成長とは変化を伴うものである、と言うことを実体験している人は、変化はいいことだと言う価値観がある。毎日が階段だとすると、それを一段一段上がっていくと、踊り場がやってくる。永遠に続く階段はないから。(人間が疲れるからだろう)その踊り場に来たときに、そのまま階段を上がっていく道と、ドアがあってそちらを開けてもいいよ、という選択があるような気がする。その時に違うドアを開ける勇気がある人は、変化を好む人なのかもしれない。
ちなみに、「変化を好む人」は「飽きっぽい人」とイコールであることも、間違ってないと思っている。

② 好奇心が旺盛な人

話が面白い人、というのは多くの経験をしている人だ。多くの経験をしている人は、間違いなく好奇心が強い。経営者の方々の話を聞いていると、「え、そこに興味を持つんですね」という部分に興味を持って、深掘りしていった結果ビジネスの成功につながっているというケースが多いと感じている。まさに、好奇心の少ない人には決して理解できないものなのだと思う。もちろん、人それぞれ何に興味があるか、は違っていて、だからこそ世の中はうまく回っている。
ただ、スタートは好奇心であることは間違いないので、今まで興味を持たなかったことに興味を持ち始めたら、それは生まれ変わりの時なのかもしれない。

③ 自分で物事を考え、決める人、または直感に従う人

いつも誰かの言う通りに生きてきた、と言う人は、なかなか生まれ変わりは難しい。
自分で考えなくても、「なんとなくこっちかな」という、直感を信じて行動してきた人は、生まれ変わりやすい。生まれ変わりとは、ある意味そのタイミングを設定した自分からのメッセージなので(ちょっとスピリチュアルですね)それをキャッチできる人でなければ、生まれ変わりは難しい。
また、自分で物事を考え、決めていたとしても、損得や常識に従って決めている人も、結局は「時代」「常識」と言うものに判断を委ねているので、自分で決めているようで決めていない。最後は「なんとなくこっちがいいと思った」くらいで決めている方がいい。
私自身、スクールを開いた時、そしてスクールを閉じた時は、いずれも「直感」「感覚」で決めている。周囲からは、止める声もあったが、直感に従った結果だ。

④ 突破力がある人

「これだ」と言うものを見つけたら、猪突猛進で突き進む。それを突破力と呼んでいる。
突き進んでいる時に、めんどくさいことや、普通に考えればきっと難しいだろうと言うことも、周囲の協力や運の強さ、行動力によって、これらを突破していく力だ。
ただ、流れに乗っている時には、一見すると難しいと感じることが、するすると進み、ベストな決断ができるようになっていると感じる。私が、東京にスクール移転を決めた時、テナント物件を探す際に、まるで奇跡のような出会いをし、今でもお付き合いがあることを考えると、あれは流れに乗っていたんだ、と思っている。流れにさえ乗っていれば、必要なのは行動力だけだ。

⑤ 常識を疑うことができる人

常識ってなんですかね・・・。最近、本当にそう思う。
常識とは、言い方を変えれば古くからの刷り込みだ。マナーを学生たちに教えていて嫌になったのは、「刷り込みをさらに教えているだけ」のように感じたからだ。常識なんて時代によって変わるし、国によって違うし、人によって違う。それを、全員に当てはめること自体がおかしいのだけど、その圧力に屈してしまうこともあるかもしれないし、常識を刷り込まれていることさえ気づかないこともある。しかし、気づきは至る所に溢れていて、あとはそれに気づく余裕と感性、気づいたことを取り込む勇気と行動力だろう。
私には私の常識があるが、それは人と違っていても仕方がない。違うと分かったら、分かり合えることはないので、程よい距離感で付き合うか、そっと離れるしかない。そうしてでも、自分の常識、いやもっと言えば自分自身を守ることができる人が、常識を疑うことができる人、なのかもしれない。

まとめ

この5つを備えている人って、多分「浮いている」と思います。
それでも全然構わないと言う環境にいる人は、本当にラッキーです。
ただ、最終的には自分が居心地がいい場所に行くように、居心地がいい人と一緒にいるようになるものです。人は自分を幸せにするために生きているのですから。間違っても、誰かを幸せにすることはできません。誰かが「あなたのおかげで幸せです」と言ってくれたら、それは本当にラッキーなことで、一緒にいていい人なんだ、という証だと思います。でも、誰かを幸せにしよう、と思って行動するのは、私は卒業しました。
人の人生を私がなんとかできるはずはないのですから。

もちろんここに書いたことは、あくまでも私が感じていることなので、それぞれの感じたことを信じて進んでいくのが一番いいと思います。
あなたがどうしたら幸せになるのかを知っているのは、あなただけなのですから。


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