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相談しなくなった理由


20代の頃は、悩みがあると母にいつも相談していた。
母は当時の私と違って、明るく、前向きな人だった。
私は、今とは違って「根暗」で「完璧主義」で「落ち込み症」だった。

今自分の20代を分析すると「完璧主義で、せっかちだったため」理想の自分と現実の自分との乖離に悩んでいたのだとわかる。
母に相談して、前向きな考え方を取り入れ、なんとか立ち上がる、ということを繰り返してきた。
あの「マインド」を取り入れたことは、とても大事だったと思っている。
母に感謝している。

その後大人になり、だんだんと自分で自分の悩みを解決できるようになり、30歳を過ぎた頃
「あなたは最近私に相談しなくなったね」と母に言われて気付いた。
自分で自分のことは面倒が見れるようになった時だったのかな、と思っている。

それでも、人は生きている限り何かの悩みや困りごとに出会う。
息子の死など、おそらく大病以外はほぼ経験している私にすれば、想定外のことが起こり続けた30代、40代だったが、なんとか自分で解決したり、折り合いをつけてきた。

少しは落ち着いたかと思っていたら、コロナが起き、さらに悩みや不安な日々が続いたが、今は悩みや不安が減ってきた。
それはコロナが終息したことも大きな要因かもしれないが、それだけではない。

悩んだとき、不安になった時「自分の心に聞けば、答えは出る」と信じられるようになったからだ。
それは、「心が感じたことをそのままやってみる」ということを、このコロナの間に小さなことからやってきたからだと思っている。

朝起きて、ふと行きたい思ったところに行く
どの花を買おうかと迷った時に、最初に思ったものを買う(昨日はそういえば、店主の人の言うとおりにしてしまった・・・)
服を選ぶ時も、最初にいいと思ったものを着る
日程を選ぶ時も、最初にいいと思った日程にする

など、日常から人は多くの決断をしているのだけど、それを「心のままに決定する」という練習をしていたのだと思う。

「練習」と書いたのは、なかなか心の言うとおりにできないからだ。

最初に思いついたことを、後から頭が否定し始める。

「そんな思いつきで出かけたら、仕事はどうするの?」
「遊びにいったらお金がかかるよ」
「カフェに行かなくても、自宅で飲んだらただだよ」
「友達からの誘いを断っていいの?これから誘ってもらえなくなるよ」

などなど、頭が考えることはもっともらしいことばかりだ。

でも、その後再度言い聞かせる。

「いや、思いついたんだから、きっとそこに今日行くことに意味があるんだよ」
「遊んだ分のお金は、後から稼ぐから大丈夫」
「カフェに行くことで、気分が変わるから行ってもいいじゃん」
「その友達とはこれから付き合いがなくなってもいいから、大丈夫」

と。

この心と頭のやり取りをして、心を優先する、と言うのは最初はなかなか私には難しかった。
ただ、ありがたいことにコロナのおかげで、トレーニング期間は十分にあった。
そしてだんだんと大きな決断も心のままにできるようになってきた。

すると、何が起きたか?

不安が消えた。

悩みが減ったし、悩む時間が減ったのだ。

なぜなら、心に聞けば答えが出るから。

これは、誰にでも当てはまることではないか、と思っている。

心の声に逆らい続けていると、無理をしている状態が続き、体調不良などになるのではないか。

忙し過ぎて、心の声を聞く余裕がないと、ルーテインになってしまい、ロボットのように動き続けるのではないか。

私は、心の声を聞くようになってから、空を見上げ、その美しさに感動するようになった。
夕日を見て涙が出るし、朝陽を見て感謝する。
本来人間らしさとは、このようなことが日常的にできていることが大事なのではないだろうか。

人間は動物。
地球上に存在する動物の一種。

動物らしさを失ってしまったら、動物本来が持っている「センサー」が働かなくなる。
美しいものを美しいと思えなくなる。
そして「幸せだー」と感じる機会も減ってしまう気がしている。

幸せだーと思う機会が増えれば、悩みを相談しなくて良くなる、というサイクル。
おかげで悩みを相談する必要がなくなってしまった。ありがたいことだ。


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