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子供の頃のままに生きる


結局、「子供の頃のままに生きる」のが、私の場合一番いいのだと気づいた。

大人になる過程で、さまざまな社会のルールや損得を知るようになる。
子供の頃には、全くそんなものとは無縁で、自分の「好き嫌いだけ」で生きている。
実は、それが一番いいのだ。

世の中の人や物事は、全て「好き嫌い」で判断していい。
好きか嫌いか、しかないのだ。
「普通」という言葉が若い人の間で流行ったが、「普通」というのは好きでも嫌いでもない、と
いう意味だと思うが、それは「嫌い」という意味だ。

嫌いなものはできる限り避ければ、いい。
人も、物事も。

そのあと残ったものが、自分が生きていく道なのだ。

「そんなに簡単には行かない」

という人もいるだろう。
そう、ほとんどの人は年をとるにつれて、大人になるにつれて、だんだんと社会に組み込まれていく。

大人になるとこの社会と周囲との協調を始めてしまうことが、最も恐るべきことなのだ。
社会や、学校、会社にとっては「大人になってもらう」「好き嫌いで判断せずに、損か得かで
判断してくれる人が増える方がやりやすいのだろう。
「社会に飼い慣らされていく」のだ。

法律と、自分との約束さえ守っていれば、それでいいのに、それ以外のルールや圧力で、だんだんと一人の人間を複雑化していく。
私もその一人だったと思う。

必要のない付き合い
必要のない気遣い

をすることで、だんだんと社会と馴染むかもしれないが、抱えるものが増えていく。
すると、捨てることが難しくなり、だんだんと決断もできなくなるし、好きなようには生きられなくなる。

今私が書き続けている自分の回想録を繰り返し読んでみると、子供の頃の方がずっと楽でずっと的確に判断していたように思う。
それは、知恵があったからではなく、知恵がないからこそ「好き、嫌い」で選び、直感で選んでいるだけなのだ。

そして、子供の頃の自分が今でも好きな人はおそらく今も子供の頃のままの自分を、どこかに隠し持っている。

一方で、子供の頃の自分が嫌いな人は、その反対を今生きている。
そう、どちらにしても子供の頃の自分は、今の自分の生き方に影響を与えている、
だからこそ、「カギは子供時代にある」と思うのだ。

必要ないものをどんどん捨て、本当に大事なものだけで生きていく。
まるで子供の頃のように。

ただ一つ違うのは、親がいなくても自立できていることだけだ。
少なくとも私の場合だけど。

それでいい。
それが、いい。


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