違いは個性
みんな違うのは当たり前。
考えてみたら、友達と全く同じ考えだったら逆に気持ち悪いですよね。
それなのに、自分はみんなと同じと言うことで安心する人が多い日本な気がします。
アメリカ留学の際には、みんな人と違うことが個性と思っているので、
自分の意見にみんな自信を持っていました。
人種が本当にたくさんいるから、「みんな同じ」なんて当然思えない環境だからかもしれません。
そもそもみんな違う両親から生まれ、その先には違うおじいちゃんおばあちゃんがいて、家庭環境も、教育方針も違う家で育ちます。
さらに、学校も違う、担任の先生も違う、付き合う友達も違う、あそびも違う、
部活動も、習いごとも違うのです。
これだけでも相当違って当たり前なのに、なぜ人と同じでないといけないって
思うんだろう、と、そちらの方が不思議に思えます。
一部分が同じってことはありますよ。価値観が似ているとか、です。
でも人と違うと、それが差別、いじめの温床になっているとしたら、それもおかしな話。
私自身クラスの女子全員が、私と口を聞いてくれなかった2学期間を過ごした経験があるが、その時も「みんなに調子を合わせないから」だったのだと思う。
つまり、ボスにヘラヘラしなかったから。
だって、好きでもない人にニコニコなんて、小学校4年生でできないし。
(多分他の子達はできたんだろうなと思う)
したくないし。(こちらが本音)
大人になっても同じような光景がみられるように思います。
私が人間関係で悩まない理由
私は今、個人事業主として仕事をしているので、自分のボスは自分だから、誰にも
合わせる必要がほぼないです。
クライアントさんのお話はもちろん全力で聞くけど、全て合わせていたら、
逆に私のアドバイスを欲しい、と言う人たちなので仕事にならないからです。
そして職員研修や、学生のキャリアセミナーをやっていても、みんな違うはず、と
言う前提で話を聞く。
でも、巷ではそうではない世界が多いようです。
先日も「自分のコメントに文句を言う人がいるから、SNSをやめようかと思う」
と言っていたお友達がいたので、「さりげなくフォローを外したらいいのでは?
私もやっていますよー」と伝えると、喜んでくださいました。
さりげなく去る、ってとても良いと思っているのです。
お互いに。
合う人とだけつながっていればいいので。
仕事関係でも、合わない人とは仕事に支障がない範囲で付き合えばいいので。
私自身、嫌な人がいたらどんな言い訳や嘘を使ってもいいから、その人との時間を減らします。
それは私のためだけではなく、相手にとってもそのほうがいいと思うからです。
これを言うのもやるのも、気が弱い人には恐ろしいことかもしれないのですが、
一度勇気を出してやって見れば、そのうちスッと断れるようになります。
実際に、私の生徒さん達で、勉強時間の確保のために人付き合いを断るのに相当勇気を振り絞った人たちがいますが、みんな最後は平気で断れるようになりました。
NOが言えるようになる理由
それができるのは、「断った後の居場所を確保しているから」だと思っています。
断って勉強時間ができて自分の目標を達成して、やがて転職してその人達と会うことはない、と思っていたからできたのです。
先程のお友達も、フォローを外してその後自分のことをちゃんと理解してくれている人たちと繋がり続ける、という居場所があるから、わかっていたから、受け入れられたのでしょう。
ママ友との付き合いをやめたいと思ったら、その時間を使ってパートに行くとか将来の仕事につながる習い事、勉強をして、自分と合う人たちがいる世界に行けば良いと思います。
私は断っても、自分が好きな友人や家族といればいいから、別に困らないし、仕事では私が必要と思ってくれる人からの依頼だけでいいと思っています。
無理しても、お互いに良いことはないので。
極端な性格で、変人かもしれませんが、人間関係で悩むことほど時間と心の無駄はない、と思っています。
違いは個性だから、みんな同じでなくて当たり前。
同じじゃないといけないと、一緒にいることを強要する人からはそっと離れる。
これが私の個性。
上野 博美
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