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試されてる時


ここ最近、試されてるのかもしれないと思うことが続いている。

「本当にそれを望んでるの?」
「本当にそれがあなたの望む生活なの?」

と言う問いかけのような状況が起きている。

先日は、5つ星ホテルのプールに平日行ったのだが、
「優雅だな」と思う反面、「本当にこんな生活がしたいのか」を問われた気がした。

なにも生み出さなくても、人には生きる権利があるのだけど、私はなにも生み出さない毎日は嫌だと気づき、「この生活はいらない」と断った。

誰に?


自分にだ。


ただ漠然と幸せになりたいと思っても、一人一人の
望む幸せは違う。
だからこそ、まずは自分がなにを望み、なにを望んでないのかを知る必要がある。

誰かにまかせていたら、自分の思う通りにしてくれた、なんてことは絶対に起こらない。
曖昧な願望は曖昧な人生になって現れる気がする。

だからこそ、イメージできることが大事なのだ。

そのイメージ化をしやすくするために、「これはどう?」と問いかけられているのだろうが、その度に悩むし、揺れる。

選びやすいように、詳細なメニューが次々に出てきて、一つ一つ吟味している感じだ。

環境を変えたり、新しい場所に飛び込んだ以上、
元に戻ることはもうできないので、先に進むんだから、どんな人生がいいの?

と問われている。

元に戻ると言うことは、コンフォートゾーンを求めているのだろうが、既にそこはコンフォートゾーンではなくなっているのだ。

何事も永遠なんてないのだから。

いや、じゃあ今でもそこまでの不満はないから、このままでいい、と思っても、永遠はないのでそのままが続かない。


それならば最初から、自分が望む人生の絵を描いていた方が、叶うし、そこに向かっていけるのだから、もう少しこのメニュー選択をしてみようと思っている。

勇気を持って踏み出し、はみ出す人が、結局思った通りに生きていくのかもしれない。


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