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人生は全ては学びであり、トレーニングである


生きているだけで、学びがあり、全ての経験はトレーニングだなと最近思う。

先日から夏休みの旅行計画を立てていた。
ただ、値段の関係や、スケジュールなどでどうしても踏み切れずにいた。
時間も迫ってくる中、
「早く予約した方が安い」

とか

「満席になったらどうしよう」

という、外部要因からのプレッシャーがある。
ただ、このプレッシャーに負けてしまったら、トレーニングの甲斐がない。
(何のこと?と思わないで欲しい)

外部要因に負けてしまうより、自分がやりたいことを貫くということを、できるようになるかどうかのトレーニングだと思ったのだ。

仕事を引き受けるかどうかも、
この誘いに乗るかどうかも、
結局全ては「選択」だ。

その選択の際に、「自分の都合で決める」のが好ましいのに、案外「外部要因」で決めてしまっているのではないか、と思ったからだ。

だからこそ、何度も調べては、放っておき、また別のサイトや方法を考えてみた。
すると、昨日ちょっとしたスケジュールの入れ替えを行えば、実はかなり安く
旅行と仕事を両立させられ、且つ自分の希望するスケジュール通りに行くことがわかった。
その時の喜び、と言ったらない。

「やったーこんな方法があったんだ!」

と言う、喜びを味わった。

私が外部要因に負けて、早くに決めていたらこんな満足感はなかっただろう。
全ては、「トレーニング」なのだ、と思えばゲームのようで面白くなる。

また生徒さんへのレッスンで、「すべての経験は学びだよ。失敗か成功かは、結果論であって、その失敗した経験をしたことも、それまでのプロセスも全て学びだから、もしその失敗を忘れるとしても、すべて学び切ってから忘れて欲しい」と言うことを伝えた。

失敗や成功という、結果だけをみて、成功はすべてOKだけど、失敗はすべてNGという考え方にも、違和感があるからだ。
実際に、面接などで生徒さんが自分の失敗談を話すと、面接官は身を乗り出して聞いていると言うことは、何度も聞いている。
失敗は結果であり、そこまでのプロセスも、失敗して感じたことも、そして失敗から学んだことすべてに意味があると、面接官たちは考えているからだ。

失敗したら、その原因を考える。
成功しても、その原因を考える。

失敗した時の感情も、決して忘れない。

成功した時の感情も、もちろん忘れない。

そうして「すべてから学び切る」
だって、自分の大事な時間を費やしてその経験をしたのだから、学ばないで忘れるなんて、「もったいなくて」できない。

「全ては学びであり、トレーニングだ」と思ったら、気楽に行動できるはずだ。


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