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軌道修正2年間の振り返り「中期」

思考を停止した


コロナで生活が変化した人は、世の中たくさんいると思うが、私も例外ではなかった。
今ようやく立て直しが終わり、すっかり元気になっているが、当時は気づいていなかったが、かなり精神的にダメージを受け、突発性難聴にもなった。(奇跡的に回復したが)

ただ、自分も変わりたいと思っていたし、今の自分は前の自分とはちょっと違うな、と感じる点もあり、まさに「軌道修正を終えた感じ」がある。

今なら、この2年間を振り返る余裕ができたので、初期、中期、後期の3つの時期に分けて書こうと思った。

今回は、「中期」について書く。
「初期」では、「自分は世の中に必要のない存在だ」とまで、思いつめていた時期から脱した経緯をまとめよう。


「自分は世の中に必要のない存在だ」と思っていた気分がどん底の時、3人の占い師の人にみてもらった。
最初に見てもらった人からは、「旅に出て」と言われた。

確かにこんなに時間が出来たなら、旅に思い切って行くのも良いなと思った。
元々が旅好き。
2020年3月まで、毎月どこかに旅に出ていたし、年に2回、3回は海外旅行に行っていたほどだ。

もう何かを考えても仕方がない。
仕事上でできる限りのことはやった。
それがうまくいったものもあった。
だが、これ以上は「考えるのをやめて、心の声に従おう」と思った。

旅に出て、非日常の生活をし、違う景色を見て、違う言葉を聞く。(方言)

日常を忘れられたことによって、「考えたところで、自分のコントロールできることではない」と認めることができたのだろう。

特に、元気をもらえたのが久米島。

沖縄の離島の中では、決してメジャーではない。

石垣島や宮古島の方がずっとお洒落な店もあり、開発されている。一方久米島は。東京資本をあえて入れないようにしている、そては自然を、海を守るためだ、とガイドさんは言っていた。

その悪く言えば田舎っぽい、自然に溢れた「あるがまま」の島に予定もなく四泊滞在し、オーシャンビューのホテルのバルコニーに椅子を出して一日中ボーっと海を眺めていた。

これが、私にはすごく効果があった。

自然の前では、人は謙虚になる。自然をコントロールできない事を知ってるからだ。そして自然は、あるがままだ。

今まで頑張っていることがすごい、と思ってきたけど、こんな風に自然体で生きる方がずっと楽なんだろうなと思った。もちろん頑張った自分がいるかこそ、少し肩の力を抜いて、今は充電期なんだと思えばいい。

自然の力を十分にもらって、久米島から戻った。この時のことは、「リ・ボーンアイランド」と言うタイトルで旅ブログにしている。




実は、私はなんでも考えて考えて、その通りにしていく、という生き方をしてきた。
思考派の人間だと、自分でも自覚していた。
感覚を頼りにするときもあるが、感覚よりは思考の方が正しいと思い込んでいた。

それが、コロナになって「自分が世の中コントロールできてるって思ってた馬鹿な自分」を嫌というほど、思い知らされたのだ。

思いがけない苦労をしたこともある。
それでも、自分の無力さをまざまざと見せつけられたことは、それまでにあまりなかったようだ。

災害にあったこともないし、大病をしたこともない。
コロナで初めて「流れには逆らえない」ことを経験したのだ。

流れには、思考は勝てない。
流れには、感覚しかない。
感覚を研ぎ澄ませ、また流れが変わった時にちゃんと気づく自分でいた方がいい、とだんだんと気づいてきた。

当時同居していた娘が、完全に「感覚派」だったことも影響している。
「お母さんは、自分で全部コントロールできるって思ってたん?」
と言われ、「え、そうじゃないの?」と言い返したことがあったが、今ではなんと幸せな、でも傲慢に生きてきたんだろう、と思う。


そして、だんだんと止まっていた感性を取り戻し、思考を停止した。
脳の使い方、生き方が変化し始めたのは、この頃だ。

すると、なぜか無性に地元に帰りたくなったのだ。
なぜこんなに地元に固執するのか、全く分からなかった。

東京にスクールごと移転して以来、毎月帰省していた。
それで十分なはずだったのに。

外出もままならなくなった時、心細くなったのかもしれない。
家族がいる場所にいたいと思ったのかもしれない。

無性に帰りたい、という気持ちに素直に従い、深く考えずに地元に帰る準備を始めることになる。
何があるのかはわからないけど、生活コストも下げられるし、以前の仕事にも戻ることもできるだろう、という計算もあった。

そうして地元に戻ったのが、2021年の5月。


そして、それから1年3ヶ月後、父を突然亡くした。

「無性に帰りたい、と思ったのは、父が呼んでいたんだ」

と、あの焦りにも似た、望郷の思いの理由が、ようやく分かった。

こんなシナリオが書かれていたなんて、わかるはずもない。

それなのに、私の感性はちゃんと感じ取っていたのだ。


確かに地元に戻っていてよかったと思う。
父ともたくさん会うことができ、思い出も作れたから。

感性の力は、すごい。

思考では絶対にわからないことを、ちゃんと感知しているのだから。
もっと言えば、父が亡くなる前日私は虫の知らせをちゃんと受け取っている。
「そんなはずはない」と思いながらも、2度も知らせを受け取っていたのだ。

今は、思考より感性。

感性で感じたことを、実行する際に思考を少し使う。

自分の感性を完全に信頼する。感じた通りに行動する。

完全思考派だった私が変化した、大きな点の一つだ。


続く


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