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私は凡人


私は自分を凡人だと思っている。
認めている。

心の底から。


亡き瀬戸内寂聴さんが、あるインタビューでこんなことを言われていた。

「天才は、才能がほとばしり出るの。本人が、特段何もしなくても、その才能は出てくるの」

言葉が全てこの通りだったかは怪しいが、このような内容のことを言われていた。
それを読んだ時、「あ、私は凡人だ」と認めることができて、楽になった。


楽になった、ってどう言うこと?
と思われるかもしれないが、「実は自分は才能があるのに、それを十分にいかせていないんじゃないか」と、毎日思い続けるより「凡人だから、やっぱりコツコツしかないんだな」と思えたので、自分のやるべきことがわかって、心配しなくて良くなって、楽になったのだ。


今の時代、「失敗したくない人」がとても多いように思う。
若い人も、若くない人も、だ。
そりゃ、誰だって好んで失敗したい人はいない。
だけど、何かやりたいことがあったら、失敗は伴うもの、とわかっていても挑戦する人と、どうにかして失敗しない方法があるんだったらやろうかな、と思っている人に分かれるように思う。


圧倒的に行動する人の方が少ない。
その結果、いつまで経っても変化は訪れず、もし毎日に対して、自分に対して不満を持っている人は、その不満だけが蓄積していく。
その不満をぶち破るには、失敗を恐れず、と言うより失敗しても別に問題ないんだから、行動すればいいのに、と思う。
(余計なお世話だけど)


私は、完全に「失敗はするもの」と、開き直って挑戦するタイプなのだが、それは「自分は凡人だ」と認めていることと関連がある様に思える。

自分がすごい人だ、と思っていたら、失敗も恥ずかしいし、失敗した時の落ち込みは相当激しいものになるだろう。

しかし、「自分は凡人だ」と思っていたら、そりゃあ新しいことに挑戦すれば、経験したことがないし、特別に不器用なんだから、失敗するのがデフォルト、つまり当たり前と思っているからだ。

失敗しても恥ずかしいなんて思わないし、失敗したことをネタとしてnoteに書いたり、授業で話したりする。
その話を若い人はよく聞いてくれる。
かといって馬鹿にされたことはない。
おそらくだが、「行動していることを尊重してくれている」のではないか、と思う。(想像だが)


失敗して困ることって何だろう?

やり直しにかかる時間?
→だって、不器用なんだからしょうがない。それでもやりたいなら、何度でもやり直して、できるようになったら、結構自分を褒めてあげられるんじゃないかな、嬉しいし。

人に笑われる?
→黙ってたらわからないこともあるし、笑われても「私不器用なんで、しょうがないんですよ」と言って、できるようになるまで頑張るだろうな。
「○○さんは一回でできたんですね。すごいですね」と相手を褒めておこうか。

心が折れる?
→心が折れる必要は全くない。だって凡人だし、不器用だし、失敗はデフォルトだから。
もし一度でうまく行っても、「まぐれだ」と思って、もう一度やってみて、また失敗せずにできたら、「ほー、案外できるんだね」と自分に言うだろうな。


一言で言えば、「プライドがない」のだろう。
心が折れる人も、人に笑われたくない人も、多分プライドが高い。
そのプライドが必要か?と言われたら、むしろ邪魔だと思っている。

生徒さんたちにも、「プライドが高い」人たちは少なからずいる。
そのプライドを捨てないと、成長はないよ、と言うことは伝える。
最終的にどうするのか、は本人次第だけど、そのプライドが邪魔になっていることに気づいてくれたら、と思って、つい言ってしまう。

昨日甲子園の決勝戦を見ていて、負けたチームの選手が号泣しているのを見て、思わず泣いてしまったが、あの涙はプライドを捨て、強豪校には決して敵わないと知りつつも、「負けて当たり前」の気持ちで勝負してきた人たちの涙であり、それでも悔しくて悔しくて、三年生はもう2度と高校生として甲子園のグランドに立つことはない、その一瞬を失ったことへの涙のように思えた。

常勝校ではないからこそ、プライドなんて捨てて、必死で食らいついて決勝の舞台に立った高校生たち。

大人がちっぽけなプライドにしがみついていたら、ダメだな、と教えてもらった試合だった。
ちっぽけなプライドより、将来の伸びしろをとる。
いつまでも、そんな大人でありたいと、思っている。


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