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多様性を認めるとは?
先日同級生と話をしていた際、多様性の話になった。
多様性を認める、ということが話題になる昨今だけど、
結局は
「相手を認める」
という一言に尽きる、という話になった。
私もかねがね「相手を理解する必要はないし理解できなくても仕方がないけど、認めることはできる」と思ってきた。
そのように思うようになったのは、高校生でのアメリカ留学がきっかけだ。
アメリカコロラド州のコロラドスプリングスの地元の公立高校に10ヶ月間通った際、人種は様々だった。
白人
黒人
ヒスパニック
アジア系
イスラム系
などだ。
私が特に仲良くしていたのは、お父さんはアメリカ人でお母さんがギリシャ人の
女の子だった。
とても優しい、とても綺麗な女の子で、なぜか私と仲良くしてくれた。
ただ、今では全く連絡が取れておらず一度会いたいと思うが、その手立てはない。
さらに数学のクラスでは、メキシコ系の女の子が、日本では数学が大の苦手の私が、簡単なクラスをとっていたため何度も100点を取るのをみて、いつも私に数学の質問を英語でしてきていた。
さらに、スイミングのクラスでは一度貧血を起こし、助けてくれたのが黒人の女の子で、すごく心配をしてくれた。
バレーボールのクラスでは、アメリカ人の女の子でちょっと浮いているほど元気な子と仲良くしていた。
さらに私のロッカーの隣には、ノルウエーからの留学生がいて毎日いろんな話をしていた。
さらに、学校のカフェテリアで知り合ったイラン人とタイ人の女の子たちとも
よく空き時間に話をしていた。
これだけ書いていても、本当にさまざまな国に関係がある人 たちと接し、
何が正解とか、何が常識なんて言うことは全く通用しない世界を17歳くらいで見てきたからだ。
英語を使えばなんとかお互いに意思疎通はできるものの、相手のことを真に理解しようと思えば、相手の国の文化習慣を理解しなければ相手を理解はできない。
ハグを一切しない日本人のことを、ペルー人のホストマザーはお化けでも見るかのように不思議な顔をしたのは、今でも覚えている。
言葉は伝えるためのツールだけど、お互いを理解するのには、お互いをまず認めることから始めなければ、理解なんてできない、と気づいたからだ。
このような経験をすれば、誰でも相手を認めると言うことができると思う。
多様性なんて、当たり前で、本来日本人であっても一人一人性格も考え方も
違うのだから、自分と違うのが当たり前、と言う人が増えていくと多様性はなんの問題にもならなくんなるだろう。
自分と違うからこそ、面白いし、同調圧力で自分と同じでなければならないなんて、法律でさえそんなことは認められないのだから、自分と違う人が嫌ならば、
自分と同じ人とだけ付き合っていけばいい。
人のことは干渉しない。そもそも人のことに、人生に口出しなんてできないのだから。
ただ、こんなことを書いていても、これをスーッと理解する人と、理解できない人がいるだろう。
だから、自分が理解できる人とだけ、または認めることができる人とだけ付き合っていけばいい。
そんな時代がもうやってきていると感じている。
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