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あの人は特別、という言い訳をやめる


以前ある会社の副社長とお話をしたことがある。
彼女は、社員教育にも力を入れていらして、人材教育に関わっていた私に色んなことを教えてくださった。
その中に、「自分よりもずっと上の人のことは、ほとんどの人は「あの人は特別だから」と言って、目指そうとはしないものよ」と言った。

つまり、ずば抜けてすごい人が周囲にいた場合、「あの人は天才だから」「あの人は特別だから」と言って、自分が追いかけるべき人ではない、それよりも自分に近いくらいの人を、人は目指すもの、と聞かされた。
だから、大谷選手ではなく同じ野球部の同じくらいの、手が届きそうな選手を一人挙げて、その人を目指すようにアドバイスするといい、というものだった。

確かに、学年で1番の成績の同級生は「あの人は勉強好きだから」とか「あの人はガリ勉だから(言い方が古い。。。)」と言ってなかっただろうか、と思った。
誰にでもそんな気持ちがあることは、間違いない。

でも、その後この言葉について色々と考える機会があった。

あの人は特別、と思うのは、ある特定の才能が必要なものについてであり、特段才能が必要ではないことについては、「あの人は特別」と思う必要はないのではないか、と。

若い人たちを教えてきて、ある目標がある時に、資質の違いは確かにあるのは、十分にわかっている。しかし、それらは別の資質で補うこともできるし、必ずしもその人と同じになる必要はない、と思って、一人一人の生徒さんにアドバイスをしてきた結果、ちゃんと目標を達成した人たちがたくさんいた。

また、大谷選手は一年で大谷選手になったわけではない。時間をかけ、つまり幼い頃から同じマインドや同じ体作りをしていけば、大谷選手のようになれるかもしれない。
才能だけではなく、時間、マインド、日々の取り組みによって、特別な人になれるのかもしれない。

最初から、「あの人は特別だから」と思ってしまったら、目指そうという気持ちさえ失ってしまう。もしかしたら、その特別な人以上にあなたはなれるのかもしれないのに、だ。
もちろんその人と同じになる必要はない。だが、最初から低いレベルに設定する必要もない。
選択肢は多い方がいい。

一つ言えることは、100点を目指して勉強すれば100点を取れる可能性は高まるが、80点を目標にしていたら100点は取れない。
言い訳を無くしたら、あなたの可能性が最大限に花開く可能性がある。

自分で自分を諦める必要はないし、自分で自分をわざと低いところで満足させる必要もない。
目指したければ目指せばいいし、どこを目標にするかは、あなた次第。
理想的なのは、上限を決めず、一段づつ上がっていったら、特別な人を超えていた、という感じ。

自分の可能性を自分で決めては、自分に対して失礼だ、ということだ。

自分の可能性を自分で決めつけない、ということも、「自分を大事にする」ってことじゃないかな、と思って書いてみた。

「本気でやりたいなら、なんだってできるよ」と自分に言ってあげることが、自分を最大限に活かしていることであり、それが心から嬉しいのなら、自分を大事にしていることなのだ。


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