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意味があるかどうかは関係ない


何か行動をしようとすると、
「それをしてどうするのか」
「どんな意味があるのか」
「何の役に立つのか」

と聞く人がいる。

私はその発想が全くないまま生きてきたようなので、
その質問には「わからないけどやりたいからやる」
としか答えてきていない。

高校で10ヶ月のホームステイに行くと決めた時も、
一応「アメリカ人並みに英語が話せるようになること」
「同年代のアメリカ人の人が考えてることを知りたい」
と思って行ったが、その先の未来に直結させては
いなかった。

結果的に客室乗務員になったので、確かに英語力は
活かせたが、最初からそれを目的にはしていなかった。


マナー系の資格も、マナーセミナーを始めた時には一切持ってなかったが、(それでも客室の経験と営業力で、仕事は取れた)その後「秘書検定一級の資格を持ってる人を優先する」と言ってる大学の教授に出会い、大急ぎで勉強して、秘書検定一級とビジネス実務マナー検定一級を取得した。

目的があって何かをしたことがあまりなく、
やりたいことをやっていて、必要に迫られたら資格などを取ってきた。

もちろんイチロー選手のように、自分のブループリントを明確に覚えているかのように描ける人もいるだろうが、人生で出会うこと、人、はすべて意味があるのだと考えれば、その時その時に興味を持ったことを
やれば自然とその先につながっていくんだなと
思っている。

最近はさらに行き当たりばったりで、感覚で生きている。
意味があるかどうかを考えて生きている人たちからすれば、賢くない生き方だろう。

ただ、私にはこの生き方の方が似合っているようだ。


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