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向いている仕事が天職とは限らない


最近は、朝のモーニングページと言われる「覚醒前の書き出し」をやめている。
その代わりに、ウオーキングに出る。

景色を眺め、季節の風を感じると、頭は「無」に近くなる。
以前から感じていたが、ウオーキングは私にとって、瞑想と同じ時間らしい。

何も考えていないから、ふと浮かんでくることは何かのメッセージだろうと思っている。
先日打ち合わせをした人が言っていた言葉が、どこかに残っていたのだろう。

向いている仕事が適職とは限らない。

適職とは、その人の資質で向いている仕事のことを言う。
好きな仕事とは、自分が好きだな、と勝手に思っている仕事のことだ。
適職がいいのか、好きな仕事がいいのか、はいろんな人と話をしたことがある。

すごく向いていたけど、やりたいことじゃなかったから退職した、と言う人もいた。
私も、すごく向いていたけど、今はやりたいことではなくなったから、仕事を辞めた。

となると、「好きな仕事」に軍配が上がる。

考えてみれば私が20代の頃は、「好きを仕事に」なんて、ほぼ考えられなかった。
男女雇用機会均等法もない時代。私の周囲の女性は、「腰掛け」程度に仕事をし、その後良い伴侶を見つけて結婚し、退職した。
今でも仕事を続けている人は、「仕事させてくれるところ」を探し、時代の流れに沿って、働き方を変え、「向いている仕事になって行った」人がほとんどだ。
おそらく、私もそうだったのだろう、と思う、と言う話をしたところ、相手の男性も「自分もそうかもしれない」と言ったのだ。

ただ、その方は大変仕事ができる人だ。
向いている、いや向いているようになるまで頑張ったのだろう。
私も、幼い頃から写真を撮るときに、決して笑わない子だったのだから、客室乗務員なんて向いているわけがない。

しかし、ずいぶん前に「向いていないことを仕事にするとうまくいく」と言った人がいた。
あるホテルの支配人だったが、親しくなりいろんなお話を聞かせていただいた。
そのうちの一つが、「向いていないことを仕事にしたよ方が上手くいくんですよ」だった。

彼が言うのには、「向いていない」と言うことを自覚しているから、努力する。どうしたら仕事ができるようになるか、考える、らしい。
しかし、「向いている」と思っている人は、簡単にできるから努力をしない。
すると、「向いていない人の方が仕事ができるようになる」らしい。
そう言われて、思い当たったことはたくさんあった。

笑えないから、毎日鏡の前で笑う練習をしたし、部屋の椅子にお客様が座っていると想定して、椅子に話しかけ、先輩に叱らられたことを復習した。その積み重ねでようやく仕事ができるようになったのを思い出した。

打ち合わせをした男性の方は、具体的なことは言わなかったが、できないことをそのままにせず、できるようになるためにはどうしたらいいかを考えた、と言っていた。
向いていない仕事を向いている仕事に変えることはできる。
しかし、最後は「その仕事をこれからも続けていきたいか」「その仕事をしている自分が好きか」ではないか。

できないことをできるようにする過程で、捨てたものはたくさんある。
自分自身を変えると言うことは、自分の一部を捨てることだ。
捨てたい自分だったら何も問題はないが、捨てたくないのに捨てた自分を、今私は拾っている気がしている。

自分らしく生きることを大事にするのか、評価され、求められる仕事をするのか、は全て自分だけの判断に委ねられているし、その自由を誰もが持っている。

適職のさらに先に「天職」という言葉がある。
天職とは、向いてるか向いていないか、でもなければ、好きか嫌いかでもない。
自分が天職と決めたら、それが天職なのだ。

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