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私が個人事業主になったお話し。4



SNSもネットもない時代の起業には、営業が必要だったというお話を前回書いた。
今は、営業しなくても一つの発信がバズることによってヒットにつながる時代なので、随分と起業するのも楽になったと思う。

ただ、営業で得た信頼関係はいまだに続いていて、コロナで仕事が激減した際に大学や短大で講師の仕事をすぐに再開できたのは、この時の営業からのご縁だ。

セーフテイネットは多い方がいいし、収入源も複数あった方がいい、と個人企業主、フリーランスの人は言う。
一つに偏り過ぎたら、一つがダメになった時のダメージが大きいからだ。

スクールをスタートさせた時もそれは感じていたので、「子供英会話スクール」も併設した。
以前のエアラインスクールでも、子供英会話のクラスを長年担当していたので、ノウハウもテキスト選定もできると思ったからだ。
自分が経験してきたことは、全て生かす。
そのくらいの気持ちがなければ、経費と給料を稼ぐことはできない、と腹を括った。

子供英会話の営業は、ちょうど子供が保育園を卒園する頃だったので、その保育園でチラシを配ってもらうこととした。(随分図々しくなっていた)
これも保育園の主任先生と、人間関係ができていたからこそできたことかもしれない。
保育園の行事には必ず行ったし、保護者会などでお手伝いできることをやっていたことも大きいだろう。
主任先生は、すんなりとOKを出してくださり、「園長に聞いてみます」と言って下さった。
その結果チラシ配りは成功し、無料体験クラスに保育園の人たちが来てくれた。
月2回で3,000円と言う金額でスタートし、その後月4回で4,000円としたが、安いと思って下さった、近所のお子さんたちが通ってきてくれるようになった。保育園は地域密着なので、近所にいるお子さんをターゲットにできたことは後から気づいた。

こうして、エアラインスクール、英会話、そしてその後大学でのセミナーと社員研修の4本の収入の柱ができた。
確かに、不況で就職氷河期の時代には、エアラインクラスは大変だったが、逆に大学のセミナーは増えたし、売り手市場に変化すると、エアラインクラスは生徒さんが増えた。
一定の数を確保できたのは、大きな収入ではないが英会話クラスだった。
こうしてバランスよく経営できていたので、何とか26年続いたのだと思う。
その後さらに都会へスクールを移転し、ついに東京にまで進出した。
東京に行く際には、英会話クラスも終わらせていたし、大学などには早めに伝えて、引き継ぎが必要な際には、知り合いの先生方をご紹介した。

東京では、エアラインクラス一本に絞ることとなったが、コロナ前のプチバブル状態にはまって、過去最高益を出すことになった。
その後のコロナが待っているとは全く気付かずにいたが、収入の柱が一本であることは、常に危機感を感じていた。
ただあまりにも忙し過ぎて、次のことを始める時間も体力もなかった。
そうして、あのコロナ騒動を迎えることになる。

その後のことについては、今までさまざまな記事に書いてきたので書かないが、今となってみればコロナによって強制終了させられたことによって、見直しもでき、休養もでき、充電もできた。

そして、今は新たな収入の柱を構築しようと準備している。
エアラインスクールは、少しペースダウンしながらも続けているが、今後採用が活発化すれば少しウエイトを増やすかもしれない。


ここまで書いてみて、思ったのは「個人事業主は確かに大変だけど、全ての裁量権が自分にあり、決定も大変だけどその責任も成果も全て自分のものである」と言う点が、私は気に入っているんだと思う。向き不向きはある。向いている人にとっては、もうサラリーマンには戻れない、と思うくらいこの働き方が合うと思うが、これもやってみて初めてわかったことなので、まずは一歩踏み出してみるといいと思う。

既存の仕事を大事にしつつ、ときには自分を振り返り、新しいことを考え挑戦していく、と言うことができれば、まだまだやっていけるのではないか、と今は思っている。
2022年も後2ヶ月余り。2023年はなんだか新しい一年になりそうで、ワクワクしている。

そう、個人事業主はタフでなければ多分やっていけない。
唯一私持っていた適性が、このタフさなのだろう。


続く


おまけ

本当はこの4、で終了しようと思ったが、「広告宣伝」と言う分野について、何も書いていなかったので、次回それについて書いて終わりにしようと思います。


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