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アマヤドリ − 秘密基地

しと、しと、しと

路地裏のひみつきちに
二人の男女が座り込んでいる

男は白シャツに灰色ストライプのスーツ
上着を右手にひっかけて空を見上げている

女は紺色の襟のセーラー服
赤いスカーフを指でいじっている

どこからきたのか、
いよいよ本降りになってきた雨に足止めされているのだろう

「止まないな」

ぽつりと、男が呟く

「腰が痛くなってきちまったよ」

「おじさんなのね」

セーラー服の少女が淡白に答える

「そりゃ女子高生に比べたらな」

「女子高生を女子高生って呼ぶのはおじさんよ」

「なるほど」

コンクリートの壁が崩れて、空がのぞいている

雨もふきこんでくる

二人は雨が当たらないギリギリの位置に座っているのだ

ここは廃墟ではなく、空倉庫でもない

段ボールがいくつか転がっていて、どうやら机にしたらしい跡がある

よく見るとお菓子の包み紙や、そのお菓子にくっついていたらしいおもちゃが放置されている。

泥がくっついていたり、埃をかぶっていたり、今は持ち主がいないことを示している

男は手元に落ちているゴムでできた人形を拾い上げた

薄汚れてはいるがカラフルな彩色のロボットフィギュアのようだ

見覚えがあるよな気もするが、馴染みはない

男が昔見たアニメのキャラクターとは違うようだった

少女はその男の様子をじっと見ていた

「ひみつきちなのね」

「うん?」

男はフィギュアを見ていた目線を上げた

「どこかの子供たちのつくったひみつきちなんでしょ。ここ」

「ああ…。みたいだな」

しと、しと、しと

床は雨に濡れてはいなかったが、ひんやりと冷たい

じわじわと体温を奪われていくような感覚に、男は身震いした

気を紛らわせるように、内ポケットから煙草を取り出し、火を点けた

妙にしけっぽい味がする気がして、落ち着かない

ライターの音に、少女はちらりと男の顔を見る

「それっておいしい?」

「不味い。特に今は」

「じゃ、なんで吸ってるの?」

「他にすることがないから」

ふわふわと漂う煙は、空からの靄と混じって消える

「クラスにも煙草をやってる男の子がいるけど、やっぱり不味いって言ってて」

男と少女の目線は自然と煙と靄の境のあたりを見ている

「男の子って、たまにそういうよくわからないこと言いだすの」

「まあね」

少女は疑わしそうに男を見る

「わかるの?」

「そりゃ俺だって一応『男の子』だった時もあるからね」

男の右手の先から灰がポロポロと落ちる

「お前にだって、こういうひみつきちで遊んだり、人形遊びをしてた時もあっただろ」

「そうだけど」

長い黒髪を指でいじりながら、彼女は何事か考えているようだった

男の方は、自分が少女と同じ年頃だった時のことをぼんやりと思い返していた

少女がクラスメイトを「よくわからない」と言うように、

クラスの女子たちが何を考えているかなんて、さっぱりわからなかった

とはいえ、

それは今も同じだった。目の前の女子高生が何を思い、考えているのかは見当がつかなかった

しと、しと、しと

(止まねぇなぁ……)

随分、長い時間ここに座り込んでいる気がしていた

正確な時間はわからない

見知らぬ少女と二人きりという状況が、男の時間感覚を狂わせているだけで

まだそれ程の時間は経っていないのかもしれない

「おじさんって、何してる人?」

ストライプのスーツをチラリと見ながら少女が尋ねる

男はスーツの襟を指でひっぱり、胸を張った

「世界の平和を守っているに決まってるだろ」

「へぇ」

氷のように冷やかな反応に男は負けなかった

「あのなぁ、大概の大人は平和を守るために戦ってるんだぞ」

「そお?……それって難しい話?」

「いや、全然」

「ふぅん。そうは見えないけど」

少女は不服そうに男を睨む

その瞳が驚くほど強く、澄んでいることに、何故か男の胸はチクリと痛んだ

「お前は?学校に通って、何してる?」

「別に。普通。学校行って、授業に出て、お昼食べて、友達と喋ったりとか…」

「そりゃぁまた、普通だな」

「世界平和とか言い出すより、まともよ」

「ものの例えだよ。大人にとっては……」

「おじさん」

少女に遮られて男は口を噤む

「『大人は』って言うのやめて。それって『大人』の悪い癖よ」

「…かもね」

また、男はチリチリとした痛みを感じた

少女のきっぱりとした物言いや、鋭い眼は

高い高い台座の上にある、繊細なガラスの彫像を思わせた

台座はとても狭く不安定で、ちょっとでも揺れれば、美しい彫像は床に落ち、粉々になってしまう

あるいは、ピンと張った細い糸のようなもの

波の一つもない水面

そして、その感触に男はなんとなく覚えがあった

すっかり短くなってしまった煙草を床に押し付けて火を消した

しと、しと、しと

「止まないね」

ぽつりと、呟く少女の横顔

男はどこか眩しそうに、それを見ていた

「何?」

「いや、お前のこと、どこかで見たことある気がするんだよな」

少女もしげしげと男の顔を覗き込んだが、すぐに興味を失う

「私は知らない」

「…そうだよなぁ」

女子高生の知り合いなどいるはずもなかった

「あ」

少女が短く声を出し、再び男の顔を覗き込んだ

「わかった!」

思い出した、というよりは獲物を見つけたかのような含みのある表情

「さては、おじさんの初恋の人に似てる、とか言い出すんじゃないの」

男はがっくりと肩を落とす

「疲れることを言い出すな。何の漫画だ、それは」

「なんだ、違うの」

それほど残念でもなさそうに、少女も形だけ肩を落とした

「じゃあ、おじさん好きな人とかいるの?恋人は?」

興味があるのか、ないのか、少女は天井の隙間の空を見上げている

「あのなぁ」

男は二本目の煙草をくわえたが、しけっているのか火が点かない

諦めてポケットに煙草の箱とライターを戻す

「そっちこそ。好きなやつはいるのか。クラスメイトとか?」

「違うわ」

少女の語気が予想以上に強かったので、男は驚いた

「クラスの男子なんか好きにならないよ」

それでも少女の瞳は相変わらず透き通っていて、その奥には小さな炎のようなものまで見える気がした

そういったものの一つ一つが、やはり男には見覚えのあるもののように思えた

男は足元に落ちたままのロボットフィギュアをもう一度拾い上げる

泥がついている

ところどころ彩色も剥げている

「お前、このロボットが何か知ってるか?」

「…知らない。似たようなのは見たことある気がするけど」

少女の子供の頃のアニメでもないらしい

しと、しと、しと

「雨、止むのかなぁ」

「いつかは止むだろ」

「でも、今日はもう止まないかもしれないね」

たしかに、雨はこれ以上強くなる気配はないが、相変わらず降りつづけている

雲の向こう側に太陽の光が透けることもない

一体、どれぐらいの時間がたったのか男にはよくわからなかった

「いざとなったら濡れながら帰れば、いいさ」

「帰るって、どこに?」

「え?」

振り返ると、少女は虚ろな目で男を見ていた

「眠いのか?」

「そう、かもね」

しとしと、と規則的に届く雨の音もたしかに眠気を誘う

「ここはひみつきち、だから。それに雨も降ってるし」

言葉一つ一つははっきりしているが、眠気のせいなのかいま一つ意味は通っていない

「そのうち止むさ」

男はなんとなく、少女の正体に気付き始めていた

この雨は必ず止む

いや、そうでなくても

「走ればそんなに濡れないだろうし。お前も、ちゃんと帰れよ。濡れるよりこんなところに長居した方がよっぽど風邪をひくぞ」

「ふん」

「ふん、って言い方はないだろ」

少女はおもむろに鞄を開け、中に手を突っ込んで何かを探し出した

そして、底の方からそれをひっぱりだす

どこかで見たことのあるキャラクターのストラップがついた携帯電話だった

「別に走って帰らなくても、部活中の友達がいるから、傘持って来てもらう」

「……」

男は虚をつかれたような顔になる

「何よ?」

「いや…うらやましいなぁと思って」

「何が?」

男はズボンのポケットの中の携帯電話のことを思い出したが

傘を持って来てくれ、なんて連絡できる相手は思いつかなかった

「俺が高校生のころは、まだ携帯なんて持たせてもらえなかった」

少女はくすり、と笑う

「やっぱり、おじさんなのね」

「……みたいだな」

しと、しと、しと、と、ひみつきちに雨は降りつづけている


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写真:えつこ
物語:まれ
音楽:ウエノアンコ



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