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【Pon】プロトタイプ・スタジオを創る〜第一部・「Ponとぼくの出会いと挫折」

Ponとはコイツ。
ぼくらの会社、アルファの1人。
(爽やかなのは顔だけ)

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Ponとぼくとの出会いは、大学4年生の時だった。

後にぼくらが一緒にインターンすることになるVCが開いたイベント会場でのこと。
(ちなみにそのインターンで、アルファのtarotutunにも出会う)


Ponは、
大学を卒業した後に一度働いていたベンチャーを辞めて、
ぼくと同じ大学の大学院(学科は違ったが)に入り直すのだという。


「なんで大学院に入るの?」
というぼくの問いに、Ponは、
「ムーアの法則を越えたい」
のだと言った。


はっきり言って、
わけの分からない変なやつだと思ったけれど、
どこか魅力的な男だと感じた。

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春が来て、
同じ大学院に通い、
同じ会社でインターンすることになったぼくらは、
よく語り合うようになった。


あの頃のPonを一言で表すならば、
未来を見通すのがとても上手い?男だ。
(あの頃の未来にぼくらはまだ立っていないけれど 笑
本当にPonの予想が当たるのかどうかはこれからのお楽しみだ 笑)


ぼくも立派な妄想族なので、
Ponとぼくにとっては、
「将来、世の中はこうなるに違いない」
という像を描くことは容易いことだった。


今の社会が抱えている構造不良と
世間の大きな流れやテクノロジーの進化を合わせて考えれば、
いずれその構造不良がどのように解消されるのかが分かる。
あるいは、それが近い将来には解消されないものなのかも。

(すべてが思うほど上手くはいかないだろうけど 笑)


こうして、ぼくとPonは意気投合した。


自分たちでもスタートアップを始めたいと思っていたPonとぼくは、
当然の成り行きで一緒にサービスを作ろうということになった。


でも、結局、
このプロジェクトは大失敗に終わった、

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ぼくたちにとっては、
将来こうなるはずだということは明らかなのだ。

そして、
その未来に至るまでの道筋として、
どんなピースを埋めなければいけないのかの逆算もできる。


だが、
未来から逆算して一番最後のピースであり一番大切な、
「目の前の人のニーズ」に刺さらなかった。


誰もそんなもの使いたくなかったのだ。


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ぼくらが作ったのは、研究者向けのサービスだった。


合理的であるはずの研究者の世界も、
実は不合理で旧態然としたルールで動いている。


ぼくらが作ろうとしたのは、
理系研究者用のいわゆる電子実験ノートのようなものだ。


ぼくらもそうだったが、
最先端のはずの大学院や理系の研究所では、
実験記録ははいまだに紙のノートで管理されている。


だから、昔の情報を引き出すのは非常に難しい。
書いた人以外は、そのノートを理解できないということがよく起こる(信じられないかもしれないけど 笑)

そして、
大まかな記録は実験ノート、
細かい測定データはサーバーの中
というように分かれて管理されていることも多々ある。


実験ノートを書いた人が、その研究室を去ってしまった後は、
実験ノート上に記載された実験のデータが、サーバー上のどこに保管されているのか探すことさえ一苦労だ。


確かに電子実験ノートも市販されていたが、
高価でほとんど使われていなかった。

製薬企業などのそれなりにリッチで、
データ管理に命をかける必要のある一部の企業が使っていただけだった。


紙とサーバーに分かれているような悲惨な状況でも、
論文に載るデータぐらいは、頑張って探し出される。


だが、
論文にならないような実験の結果は、
誰からも顧みられることなく、
研究室の棚の中とサーバー内に放置されたまま電子空間にゴミとして漂っている。


例えば、
「Aという成分を与えれば植物がよく育つ」と仮説を立てて実験してみれたが、
普通に育てるのとたいして変わらなかった
というような場合だ。


論文に載る実験のデータは、
実際に行われた実験のデータの1割にも満たないと言われている。

ほとんどの実験は、
思ったような結果が出なかったために論文には載せられない。


ぼくらは、
これは非常にもったいないことのように感じた。


ぼくがやってみて思ったように結果の出なかった実験を、
ぼくを知らない誰かが繰り返すかもしれないということだからだ。


人類にとって非常に大きなムダが生じている。


これらの問題は、
非常に古くから語られているが、
未だに解決されていなかった。


ぼくらは、
研究分野が違っても同じように使える機能だけに絞った非常に安価な「電子実験ノート」を作ろうとした。


そして、
そのデータを世界で共有して、
「失敗した実験のデータ」を活用できるようにしようとした。


そのデータさえ集まれば、キャッシュなんていくらでも生み出せるだろう。


例えば、
Aさんが行った「結果が出た実験のデータ」と
Bさんが行った「結果が出なかった実験のデータ」を組み合わせれば、
新しい発見ができるかもしれない。


一人の研究者にとっては、論文に載せられない無駄なデータであっても、
多くのデータが集まれば、データの総体としては価値を持つ。


ぼくらのプラットフォーム上のデータを欲しい企業なんていくらでもいるはずだ。

ビックデータの解析技術さえあれば、
新しい科学的発見や、ビジネスの種を見つけることができるかもしれないのだから。


奇しくも、
世界的には、研究者のSNSが流行って、
データの共有がなされる流れもあった。


「小保方事件」の影響もあって、
データの管理や透明性の重要性が叫ばれていた。


動画やVRが盛んになれば、
文字データだけではなく、
実験の様子を"体験"できるようにもなるはずだと思った。

そうすれば、
ぼくらのプラットフォーム上で、
どんどん実験の"シェア"が進むだろう。


実際、
ぼくらの語るストーリーは、
投資家からのウケも抜群によかったし、
ビジネスコンテストみたいなものでも感動を持って受け入れられた。


だが、結局、
日本の大学の研究者がぼくらのサービスを使うことはなさそうだった。

思ったほどのニーズはなかった。


彼らにとってみれば、
今のままでも"別によかった"のだ。

不便だと言いつつも、
現状からぼくらのサービスに乗り換えるほどの欲望は生まれなかったのだろう。


ぼくらは、そんなことにも気が付かなかった。
ぼくらも研究者の卵(?)だったにも関わらずだ。


ぼくらはこうなれば便利でスマートな世の中を描くことはできたけれど、
ぼくらが今すぐにでも使いたいサービスを作ることはできなかった。


お金を払ってでも使いたいのか?
衝動的に欲しているのか?


ぼくらは、その検証をまず行おうとしていなかった。
研究者の欲望を起点にしたサービスを作ろうとはしていなかった。

ビジョンから逆算して、ニーズを探すのではダメなんだ。
ニーズが起点でなければ。

実際は、研究者に刺さらないことはどこかで分かっていたのだろう。


ぼくらはただ逃げていただけだった。

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この後、
Ponはシンガポールに行って、
ぼくは研究に打ち込むことになる。

その後から、現在に至るまでの2年ぐらい(?)の話は第二部に譲ろう。

長くなってしまったが、
平成最後の夏に平成を振り返っておくことは、
きっといいことに違いない(?)

続く。

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